今月の説教要旨
2005年10月
(牧師) 司祭 マタイ 西川 征士

2005年10月2日(聖霊降臨後第二十主日)

『教会の実り』

テキスト=イザヤ書 第5章1節〜7節、マタイによる福音書 第21章33節〜43節)

 わたくしの生まれ育った八木の教会の庭には、イチジク(二種類)、ビワ、サクランボ、マスカットのぶどうの木があり、戦後の食べ物の無い少年時代に大きな実をつけて、わたくしたちの楽しみと食欲を満たしてくれました。みんな大きな実がなり、採って食べたときの嬉しさは今も忘れられません。

 神学校を卒業して最初に赴任した伊賀上野の教会には、美味しい実のなる柿の木が二本あり、よく木に登ったり、ハシゴをかけて牧師館の屋根に上がったりして柿の実を採り、信者さん宅に自転車で配り回ったり、日曜日の礼拝後みんなで頂いたり、とても楽しいものでした。怖い顔の森譲主教さんが堅信式などでおいでになったとき、一緒に喜んで食べてくださって、大いに笑顔を見せてくださったことも懐かしい想い出です。

 この岸和田の教会には、ビワ、イチジク、ザクロができて、皆さんにも食べていただいていますが、柿は渋柿なので干し柿にして頂いております。

 教会の庭にはよく、こういう美味しい果実ができるもので、転勤もまた楽し、ですね。

 さて、聖書では「ぶどう」がよく出てきますが、なんでも全部で400回ぐらい出てくるそうです。ぶどうは原始時代(石器時代)から栽培されていたことが判っているそうですが、驚きです。イスラエルでも、羊と同様にオリーブやぶどうは大きな経済基盤となるものだったようです。

 本日の旧約日課では「ぶどう畑」(イザヤ書 5章1節・7節)、福音書では「ぶどう園」(マタイによる福音書 21章33節・39節)という語に目を引かれます。ぶどう園は、主が導かれる約束の地の祝福を表すものの一つとされています。(申命記 8章8節)。また、ぶどうの樹下に座すことは、平和と繁栄を意味しました(ミカ書 4章4節)。それから、ぶどうの木は、神に植えられたイスラエルの象徴とされています(詩編 80章8節)。そして、キリストはご自身を「ぶどうの木」にたとえられました(ヨハネによる福音書 15章1節)。

 こうしてみると、「ぶどう」とイスラエル、キリストの体である教会、わたくしたちにもたらされる神の国と如何に密接な関係を持つ「キーワード」であるかが判ります。

 旧約日課では、「イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑」(イザヤ書 5章7節)と、イスラエルを祝福されたものとして歌われていますが、「しかし、実ったもは酸っぱいぶどうであった。」(イザヤ書 5章2節)とあるように、イスラエルの多くの人々は「良いぶどう」に実らず、イザヤは大いに嘆いています。

 福音書では、ここ三週間連続で「ぶどう園」の譬(たと)えで神の国のことを教えられています。ここでも、神が「農夫たち」(イスラエルの人々)に貸した「ぶどう園」に送った「僕(しもべ)たち」(預言者)を殺すという卑劣なことをした上、最後に送られた「息子」(キリスト)さえも殺してしまった、と記されています。十字架のことです。これが語られた時、イエス様は十字架を予知しておられたからです。

 『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。』(詩編118章22節)という言葉を引用して、おのイスラエル人に捨てられた「息子」(キリスト)が新しい家(イスラエル・教会・神の国)を建てられることを述べ、更に、「神の国はあなたたちから取り上げられ、それはふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。」(マタイによる福音書 21章43節)と、過去のイスラエルへの裁きを説きつつ、良い信仰の実を結ぶことのできる新しいイスラエル(教会・神の国)を造り、これを祝福することを予言しておられます。

 主イエス様は今、この世の一つ一つの教会を良い信仰の実を結ぶものとして期待しながら祝福してくださっていると言うことではないでしょうか。そして、どの教会も良い実りをもたらすことができるなら、必ず、平和な世界、主の望んでおられる新しい神の国が完成されるのでしょう。

 酸っぱい「ぶどう」や「ぶどう酒」ではなく、美味しい「ぶどう」「ぶどう酒」を主にお捧げし。そして再びわたくしたちが美味しく頂いて行くことのできる教会へと成長して行きたいと思います。

 庭の美味しい、イチジク、ビワ柿の味のように庭の色とりどりの花の美しさを秘めた教会へと前進しましょう。

 「主よ、主の家族である教会を、絶えることのない恵みのうちにお守りください。」(特祷)アーメン