今月の説教要旨
2006年5月7日
(牧師) 司祭 マタイ 西川 征士

2006年5月7日(復活節第4主日)

『良い羊飼い』

テキスト=エゼキエル書 34:1〜10
ヨハネによる福音書 10:11〜16

 今 世界中の先進国、発展途上国にかかわらず、多くの国々の政治、経済、教育が混乱しているようです。それは、それぞれの国の政治家等の指導者の人気が下がり、その国民からの信用、信頼性を失っていることに表されていると思います。

 競争社会の時代ですから、「勝ち組」や「負け組」が出てきても不思議ではありませんが、各国が内政においても外交においても、「自分さえ良ければ」という自己利益主義を離れて、もっとお互いに共生して行けるような「調和」を目指す政治を、どの国の人々も望んでいます。都市と地方の間の「格差」、富める者と貧しい者の「格差」が現れてくるような政治、教育は、国民は誰も望んではいません。

 国家的指導者が妙な足の引っ張り合いをしている一方で、多くの大切な問題が取り残された形となり、どこの国民もまごついているのが現状です。そして、一番許せないのは、政治のゴタゴタの間隙をついて、コンピュータの操作で株価や石油価格などをつり上げては、マネーロンダリングとかマネーゲームと呼ばれるような「金の動かし」をやって、その利ザヤで膨大な利益をむさぼっている連中です。

 例えば、これだけ環境問題が世界的に論議され、様々な努力がなされている中で、今問題になっていることはCO2の「排出権」の問題だそうです。地球温暖化の危険がいろいろな形で現れてきているのに、中国はどんどん石炭を掘り出し、黒煙を上げているということですが、日本は排出権ルールをクリアするために中国に発電所を造ってあげて煙の排出量を減らさせ、少なくなった分の「排出権」を買い取っているようです。自己の「排出権」を増やして規制をすり抜けるという戦略です。そしてアメリカでは、そこに目をつけて、この「排出権」を、まるで「株」と同じように、コンピュータ操作で売ったり買ったりして高額な利益を得ている専門企業があるというのです。

 こと、このように、世界中の政治が怪しげになっているのですが、もとはと言えば、もっとそれぞれの国の指導者たちがしっかりしていないからだと言われても仕方のないことかも知れません。このままでは、国の指導者と国民の間の「信頼性」が薄くなるばかりではないでしょうか。

 イスラエルの歴史上でも、国家の指導者の怠慢やや堕落によって何度も国民が右往左往させられました。本日の礼拝で読まれた旧約日課に、「牧者は群れを養わず、自分自身を養っている。(エゼキエル書34:8)」とあります。

 ユダ王国の終わりの頃、マナセ、エホヤキンという王様の悪政、失政は国民を他国の攻撃の危険にさらし、宗教的にも大きな堕落を生み出しました。預言者エレミヤやエゼキエルは、安全を過信し、私服を肥やす政治家たちを鋭く非難したのです。牧者である王様をはじめとする政治家たちの怠慢と堕落によって、羊である国民を路頭に迷わせ、まったく「信頼」を失い、結局、バビロニアに征服される結果となりました。

 故・八代崇主教の説教集によれば、16世紀の英国の宗教改革の一因となったことに次のようなことがあったそうです。

 当時の英国では、人口100万人、教会8000位に対して牧師は6万人ということで、牧師の数は余るほど多かったのですが、国王の王子や貴族の息子が牧師の実権を握り、一人で二つも三つも教会をかけ持ちしていました。このことだけからすれば「今日の日本聖公会の状況と同じではないか」と思われるかも知れません。しかし実際は、ほとんどの聖職は「生涯副牧師」で、「牧師」は各教会からの給料の10分の1位を「副牧師」に渡して自分はいくつもの教会からの給料をフトコロに入れ、私腹を肥やしていたというのです。これが宗教改革の一因だったとは驚きです。ともあれ、国家においても、教会においても良き指導者に恵まれたいものです。

 本日の礼拝で読まれた福音書に、「わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。(ヨハネによる福音書10:14)」という主のみ言葉があります。

 教会の「良い羊飼い」はイエス様であり、羊であるわたくしたちは、いつも主に愛され、正しい道に導いていてくださることに「信頼性」をおいて歩んでいる者たちです。地上の教会で「良い羊飼い」の役割を継ぐのは聖職でもあり牧師であります。健全な教会として必要なことは、羊飼いと羊の関係のように、お互いの「信頼性」ということに他なりません。教会が「良い羊飼い」を生み出して行けるように祈って行きましょう。