今月の説教要旨
2006年8月6日
(牧師) 司祭 マタイ 西川 征士

2006年8月6日(主イエス変容の日)

『これに聞け』

テキスト=ルカによる福音書 9:28〜36
出エジプト記 34:29〜35

 8月6日は教会歴では、「主イエス変容の日」という特別な記念日となっています。それは、山上で主イエスが栄光の姿に変えられたという福音書の記事に基づくものです。

 この事件は第一回目の主の十字架・復活についての予告が弟子達になされたすぐ後だったと思われます。戸惑っていたであろうペトロ、ヨハネ、ヤコブを連れて主イエスは山に登り祈られました。そして「祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。」(ルカ 9:29)のであります。

 使徒書を見ますと、この時のことをペトロは「わたしたちは、キリストの威光を目撃したのです。」(ペトロの手紙二 1:16)と証言しています。昔の預言者モーセとエリヤが現れてイエスと話し合っている光景を見たということや、ペトロが、そこに別荘でも建てましょうか、というような「自分でも何を言っているのか、分からなかった」( 9:33)状態から考えますと、彼らにとって、この変容の出来事は何か、特別な、又、意味深長な宗教体験であったに違いありません。

 いずれにしても、この出来事は、神様が栄光に輝く主イエスを彼らに示すという、神様の意図の中で起こったものと解すべきでしょう。では、その意図は一体どういうところにあったのでしょうか。

 主イエスの変容が起こった後、雲が現れ、雲の中から神様の声が聞こえました。「これはわたしの子。選ばれた者。これに聞け。」(ルカ 9:35)という声でした。何か、イエス様に重みをつけるような、イエス様にハクをつけているような響きが感じられます。

 十字架・復活の予告を受けた弟子達でありましたが、イエス様について、一体どういう方であり、何をなさる方であるか、ちゃんと理解・認識できていなかったでしょう。そういう弟子達に対して、イエスが神の子であることを示し、そのイエスを通して神の御計画についての言葉を聞くことの必要性を知らしめるという神の意図があったのではないでしょうか。

 因みに今日の旧約テキストは、「モーセの変容」の記事です。モーセがシナイ山で二度目の十戒を神から受けて下山してきた時、「モーセの顔の肌は光を放っていた。」(出エジプト記34:30、35)のでした。

 エジプト脱出にあたって、人々の心はモーセを神からの使者として受け容れ、指導者としての彼に従うには十分ではありませんでした。モーセの変容を通して、神の威光を示し、暗に、「これに聞け」と人々に語られ、モーセに重み・ハクをつけておられるような点で、山上のイエスの変容の時と同じだと思います。

 神は主の弟子達に、イエスに聞くようにと、又、イスラエルの人々に、モーセに聞くように命じておられます。

 今「情報社会」と言われるように、私たちは溢れるばかりの豊かな情報の中に生きています。豊かな情報は複雑でもあります。そのような状況で、私たちは一体何に聞いて、何に耳を傾けて生きているのでしょうか。

 雄弁な政治家の言うことを聞いておれば良いのでしょうか。マスコミのどの情報が正しいのでしょうか。著名な経済学者や企業家の言っていることを聞いておれば、生活は大丈夫なのでしょうか。大学や学校の先生の言う通りにすれば、立派な人間や社会が育つのでしょうか。

 戦争や環境破壊はいつまでたっても終わりません。残忍悲惨な殺人事件、強姦事件も後を絶ちません。どんな種類の情報であれ、正しく伝えられておれば、こんなことにはならないのでしょう。余りにも情報がバラバラなので、何に聞けば良いのかも分からなくなってしまいます。

 それぞれの宗教における情報も段々信用されなくなって来ているのではないでしょうか。忘れた頃にインチキなオカルト教祖や集団が出て来て世間を騒がせますが、これは論外のことで、宗教は元々良いものです。情報を正しく伝えることが大切でしょう。

 聞く側においても情報を正しく聞くということが大切です。羊は良い羊飼いの声を「聞き分ける。」(ヨハネ10: 3)ものです。あなたは誰に、何に聞いて生きるのですか。