| 今月の説教要旨 2007年2月4日 |
| 2007年2月4日(顕現後第5主日) |
『イエスさまって、すっごいなぁ!!』
テキスト=ルカによる福音書 5:1〜11
幼稚園や日曜学校で子供たちに聖書のお話をするのがわたくしは大好きです。いつも子供たちが喜んで聞いてくれるからです。お話の局面局面で、その感動を顔の表情や体一杯に表してくれます。
今日の福音書のお話も、子供たちがいつも喜んでくれるお話の一つです。
波音も聞こえない静かで美しいゲネサレ湖(ガリラヤ湖)の海辺。古びた小船が何艘か砂浜に並んでいて、そのかたわらで、漁師のシモン(ペトロ)が、投げ網を洗っています。
前日の夕方から漁をしていたのですが、お魚がなぜか一匹も取れず、夜通し頑張っても全然駄目でした。シモンはガッカリしていましたし、とても疲れていました。
イエス様が人々に船の上からお話をされるのを親切に船を出してお手伝いをした後でした。イエス様はシモンに、もう一度船を沖に出して「漁をしなさい」(4節)と言われました。一晩中頑張って駄目だったし、それに、もう陽が高く上って魚が取れる時間はとっくに過ぎているのです。
それでもシモンは、イエス様の言われる通りにしました。船の上で大きく両手を広げて投げ網を、一、二、三!!。パァーっと広がった網は底に沈んで行きます。「あかんのに決まっているのに」と心の中で。「あれ?あれ?」。網を引っ張ってみるととても重いのです。「ヨイショ、コラショ!」「何や、これ、上がれへん」 仲間のヤコブとヨハネも助けに来てくれて一緒に網を引っ張りました。「ヨイショ、ヨイショ」(ここで聞いている子供たちに、「一緒にかけ声をかけて引っ張って!」と言うと、子供たちは大きな声で「ヨイショ、ヨイショ!」と言って、網を引っ張る真似をしてくれます。話す方も、手と顔に力を入れて引っ張る動作をするのが大切です。)
とうとう網が全部上がりました。船中、ピチピチの魚だらけ。魚が取れ過ぎて船が沈みそうになりました。
「一体どうなってんの?一晩中頑張っても一匹も取れなかったのに、イエス様の言う通りにしたら、こんなに一杯取れた。イエス様って、すっごいなあ!」と、シモンは驚きの声を上げましたが、あまりの不思議さで少し怖くなり、イエス様に「主よ、わたしから離れてください。」(8節)と思わず口走りました。
この後、シモンはイエス様から「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」(10節) と言われ、イエス様のお弟子さんになり、イエス様と一緒に、神様のことを伝えて行くお仕事のお手伝いをする人になって行きました。
この物語で、子供たちが一番引きつけられ、感動するのはどこでしょう? −−勿論、イエス様のお言葉でシモンが魚を一杯取ることができたところでしょう。今まで何人もの子供たちの口から「イエスさまって、すっごいなぁ!!」という言葉を聞きました。イエス様が、大漁の奇蹟の中に、神の不思議な力を顕(あらわ)されたお話ですから、「イエスさまって、すっごいなぁ!!」という受け取りは間違ってはいません。
でも、わたくしたち大人は、もう少し深みを持って受け取ることができます。イエス様は、魚取りの漁師シモンを、「人間をとる漁師」に変えられたという点で、「イエスさまって、すっごいなぁ!!」なのではないかと思うのです。
大体、一晩中魚を一匹も取れなかったシモンに、もう一度網を打たせるまでにさせたこと自体、「すっごい」ではありませんか?
プロのシモンからすれば、イエス様は魚取りに関してはズブの素人。シモンには長年培った経験と知識からの「常識」があります。イエス様の言われることは「非常識」なのです。シモンには、一日のかせぎができなかった失望感と無力感と疲労感がたっぷりあります。そのシモンに、「しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう。」(5節)と言わせたのは本当に驚き以外の何ものでもありません。神の力や愛はしばしば「常識」を越えたところに現れます。
大漁で船が沈みそうになったとき、シモンは「主よ、わたしから離れてください。」と言いましたが、この時点で、彼はイエスが誰であるかを感じ取っていました。
遂にシモンは、主イエスの招きで、「人間をとる漁師になる」べく、「すべてを捨ててイエスに従った。」(11節)のであります。
イエス様は神の力を顕(あらわ)し、どんな意気消沈している人でも、生き生きした人間に変えて行かれます。信仰の世界は、わたくしたちの「常識」を越えたところで広がっているのです。驚きと感動の世界がそこにあります