説教要旨

(牧師) 司祭 シモン 林 永寅(イム ヨンイン)

2013年7月28日(聖霊降臨後第10主日)

求めなさい。そうすれば、与えられる

創世記18:20-33
コロサイの信徒への手紙 2:6-15
ルカによる福音書 11:1-13

《聖書には次のように書かれています》

【創世記18:20-33】
 主は言われた。
「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。わたしは降って行き、彼らの行跡が、果たして、わたしに届いた叫びのとおりかどうか見て確かめよう。」
その人たちは、更にソドムの方へ向かったが、アブラハムはなお、主の御前にいた。アブラハムは進み出て言った。
「まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか。正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。全くありえないことです。全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか。」
主は言われた。
「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう。」
アブラハムは答えた。
「塵あくたにすぎないわたしですが、あえて、わが主に申し上げます。もしかすると、五十人の正しい者に五人足りないかもしれません。それでもあなたは、五人足りないために、町のすべてを滅ぼされますか。」
主は言われた。
「もし、四十五人いれば滅ぼさない。」
アブラハムは重ねて言った。
「もしかすると、四十人しかいないかもしれません。」
主は言われた。
「その四十人のためにわたしはそれをしない。」
アブラハムは言った。
「主よ、どうかお怒りにならずに、もう少し言わせてください。もしかすると、そこには三十人しかいないかもしれません。」
主は言われた。
「もし三十人いるならわたしはそれをしない。」
アブラハムは言った。
「あえて、わが主に申し上げます。もしかすると、二十人しかいないかもしれません。」
主は言われた。
「その二十人のためにわたしは滅ぼさない。」
アブラハムは言った。
「主よ、どうかお怒りにならずに、もう一度だけ言わせてください。もしかすると、十人しかいないかもしれません。」
主は言われた。
「その十人のためにわたしは滅ぼさない。」
主はアブラハムと語り終えると、去って行かれた。アブラハムも自分の住まいに帰った。

【コロサイの信徒への手紙 2:6-15】
 あなたがたは、主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストに結ばれて歩みなさい。キリストに根を下ろして造り上げられ、教えられたとおりの信仰をしっかり守って、あふれるばかりに感謝しなさい。人間の言い伝えにすぎない哲学、つまり、むなしいだまし事によって人のとりこにされないように気をつけなさい。それは、世を支配する霊に従っており、キリストに従うものではありません。キリストの内には、満ちあふれる神性が、余すところなく、見える形をとって宿っており、あなたがたは、キリストにおいて満たされているのです。キリストはすべての支配や権威の頭です。あなたがたはキリストにおいて、手によらない割礼、つまり肉の体を脱ぎ捨てるキリストの割礼を受け、洗礼によって、キリストと共に葬られ、また、キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、キリストと共に復活させられたのです。肉に割礼を受けず、罪の中にいて死んでいたあなたがたを、神はキリストと共に生かしてくださったのです。神は、わたしたちの一切の罪を赦し、規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。そして、もろもろの支配と権威の武装を解除し、キリストの勝利の列に従えて、公然とさらしものになさいました。

【ルカによる福音書 11:1-13】
 イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。
『父よ、
御名が崇められますように。
御国が来ますように。
わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。
わたしたちの罪を赦してください、
わたしたちも自分に負い目のある人を
   皆赦しますから。
わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」
 また、弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」

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【説教文】

求めなさい。そうすれば、与えられる

 トーマス・マートン(Thomas Merton)というキリスト教の霊性指導者(スピリチュアリティ・リーダー)は、信仰者にとってお祈りがどれほど大切なのかについてこのように言いました。「信仰者とはお祈りをする人である。」お祈りが人生そのものにならなければならないということです。けれどもお祈りの大切さは知っていますが、両手を合わせて目を閉じて、「何何をしてください」と祈った後、これ以上どうすれば良いのか漠然としていると感じられることもあります。しかもそのような心情は私たちだけでなく、イエス様の弟子たちも同じだったようです。それで弟子たちはイエス様に、「わたしたちにも祈りを教えてください」と頼みました。その時イエス様が模範として教えてくださったお祈りが、まさに「主の祈り」ですね。

 信仰者がお祈りをしにくい理由の一つは、神様と親しい関係ではないからでしょう。多くの信仰者は神様を厳しくて怖い方として思っています。厳しいお父さんや厳しい職場の上司のように話しかけるのが難しいと思います。時折神様は自分の人生や生活と関連がないと考えられることもあります。それであえてお祈りをすべき必要性を感じていない人もいます。

 けれども今日ご一緒に読んだルカ福音書のみ言葉に注目しなければならないことがあります。それはイエス様が、弟子たちに神様は「父である」と教えてくださった、ということです。神様は律法と規則を定められて、それを破れば、罰を与えることを待っている厳しい方ではなく、わたしたちが幸せに生きて行くことを願っている父親のような存在であるということです。ですから、子供たちが父親によく相談し、助けを頼むように楽な気持ちでお祈りをすれば良いのです。

 けれども私たちにいっそう豊かな恵みが与えられることを願うなら、そしてより成熟した信仰者として生きて行きたいなら、何を、どのように祈れば良いのかについてもっと深く考えてみることが良いでしょう。ですから、今日ご一緒に読んだ聖書のみ言葉を通して、どのように祈ったら良いのかについてご一緒に考えてみましょう。三つのことを簡単に申し上げます。

 一番目は、私たちの個人的な願いよりまず神様のみ旨が成し遂げられることを祈ろう、ということです。ほとんどの人々は、自分の願いや、家族や親しい人たちの願いのため祈ります。しかし、私たちは、神様が私たちを創造なさったことを記憶しなければなりません。神様は私たちがこの世界で幸せに生きて行くようにと創造なさったのです。それが神様が、み国をこの世に成し遂げようという目的でもあります。ですから、神様のみ旨が成し遂げられれば、私たちの個人的な願いも共に成し遂げられるのです。

 二番目は、隣人のために祈ろうということです。信仰者はキリストを中心とする一つの体です。信仰者は信仰とお祈りを通してキリストの一つの体となって、お互いにつながります。そして信仰者は隣人のためのお祈りを通して、神様の特別な恵みを受けます。今日ご一緒に読んだ創世記の内容を通してもそれが分かります。アブラハムは神様にソドムの人々を許してくださることを幾度も願い求めました。このような姿は、アブラハムが祈っている者であることを意味します。神様はこのようなアブラハムをご覧になって正しい者と認められ、常に祝福してくださったのです。それゆえに私たちもつねに隣人のために祈りましょう。お互いがお互いのために祈ったら、それは限りない大きい恵みになるでしょう。

 三番目は、忍耐を持って絶えず祈ろうということです。イエス様は、真夜中に立ち寄った友たちのために近所のものにパンを貸してもらうことを頼む人について話されました。そして、「忍耐を持って祈れ」という意味でこのようにおっしゃいました。「しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。」諦めず根気よく、確信を持って捧げるお祈りは、すぐではないとしても必ずその答えを受けることになります。今日ご一緒に読んだ福音書には、お祈りの力を教えてくださるイエス様のみ言葉がこのように記されています。「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」このみ言葉が皆さんの信仰になって、お祈りを通して恵みを受けられますようにお祈りいたします。

 ところで、ある方は、「神はもう私たちの心をご存じでいらっしゃるから、あえてお祈りをしなくても良いではないか」と問うかもしれません。もちろん神様はわたしたちの心をすべてご存じでいらっしゃいます。けれども、今日ご一緒に読んだコロサイ書を注目してみましょう。コロサイ書にはこのように記されています。「キリストの内には、満ちあふれる神性が、余すところなく、見える形をとって宿っており、 あなたがたは、キリストにおいて満たされているのです。」(10)お祈りをすれば、わたしたちの人生がキリストにおいて満たされる、ということです。すなわち、わたしたちの心と人生が神様と一つになって、隣人と一つになり、それを通して幸せと恵みの人生になるのです。

 人々は、自分が持っている願いが適わないだろうという気がすれば、お祈りをせず、あきらめてしまいます。けれどもそのような時にもっと熱心にお祈りをしてください。お祈りは新しい希望を示してくれます。私は日本に来て、私の限界を切実に感じました。日本語もうまくならず、すべてが苦手でした。単語を覚えてから振り向いたら、すぐ忘れてしまいました。私の意志と努力で解決して行こうとしましたが、力が及びませんでした。それで神様により頼ることしかないし、お祈りをするしかありませんでした。ところがお祈りは私に新しい恵みを与えてくれました。お祈りを通して、神様をもっとも深く体験することができたし、韓国のある雑誌に「日本教会での生活」という主題で文を毎月連載するきっかけにもなりました。またヨハネ福音書についての文をすこしずつ書くきっかけにもなりました。新しい生きがいを得ることができたのです。皆さんもお祈りを通して新しい生きがいと希望を見つけられることを願っております。お祈りは希望の道を開いてくれます。

 皆さんもご存じのように3年前に私は日本語で簡単な自己紹介しかできない状態でした。その後、私は間違いに間違いを重ねながら、生活をしました。私が困った以上に、皆さんも困ったでしょう。それにもかかわらず皆さんは私を理解してくださって、暖かい心で助けてくださいました。そのおかげで勇気を出して今まで無事に働くことができました。皆さんのその愛についてこの場を借りて感謝いたします。

 その間、私は足りない者であるにもかかわらず、皆さんの羊飼いの役割をしようとしました。羊飼いの役割は、羊の群れを良い牧場や井戸に案内することですね。しかし過ぎ去った日々を振り返ってみると、足りないものである私が皆さんを良い牧場や井戸によく導いたのか疑問が起こります。そして私は、牧師任命式の説教で、皆さんのしもべの役割をすると申し上げました。しかしそのしもべの役割もよくは果たしたのか疑問が起こります。しかし今は締めくくりをしなければならない時間です。今皆さんは私がご案内した井戸と牧場に立っていると想います。これからは皆さんの役割が残っております。これから皆さんは、私がご案内した井戸の水を通して勇気を得て、私がご案内した牧場で力を得てください。できるだけ毎主日の礼拝に出席して、毎日お祈りをして、毎日聖書を読んでください。そこには、皆様を新しい命へ導いてくれる命の水があり、恵みがあります。そして皆さんが得た恵みによってもっと明るくて暖かい岸和田復活教会を作って行ってください。お互いがお互いのために祈りながら生きていったら、神様はその姿を喜ばれ、皆さんにいっそう豊かな恵みを与えてくださるでしょう。

 多くの方が、今日が私との最後の時間だとおっしゃって、寂しがってくださいました。私も皆さんとの別れがとてもさびしいです。けれども信仰者にとって最後というものはありません。信仰者は、お祈りと信仰を通してキリストの一つの体になってお互いにつながるからです。お祈りを通して、私たちが、どこで、どのように過ごしていたとしても、神様のうちに一つの兄弟姉妹であることを明らかに感じることができます。私も皆さんのためにお祈りを続けます。皆さんも私を覚えて祈ってください。そして信仰者は希望の人であるということを忘れないでください。信仰者は、いつも、どのような状況になっても、希望を失わない人です。私たちがまた会えるという希望もあります。ですから心さびしく思わないでください。そして、また会う時、もっと堅くて成熟した信仰の人になって、嬉しく出会うことができれば、それは皆さんとわたしだけの喜びでなく、神様の喜びにもなるでしょう。

 終わりにもう一度、皆さんのその間注いでくださった愛に対して感謝のご挨拶を申し上げます。ありがとうございました。そして皆さんのそれぞれの家庭に神様の祝福と恵みが豊かにあふれ、いつも幸福の人生になりますように心よりお祈りいたします。