説教要旨

(牧師) 司祭 モーセ  石垣 進

2018年4月29日(復活節第 5 主日)

命令を守るものに聖霊を与える

ヨハネによる福音書 14:15-21

 わたしを愛しているなら私の戒めを守る。今日の中心メッセージは、神は助け主である聖霊を送り、イエスの愛の中に留まります。そして、その聖霊は真理をえること、だといわれます。

 このヨハネ福音書で言われている「戒め」はモーセ律法のことではなく、父のみ子に託した指示であります。み子が弟子たちに示した教えのことであります。その教えというのは、神の子イエス・キリストへの信仰に留まり、そして、本日の礼拝で読まれました使徒書の1ヨハネ3章23節の「イエスを通して示された愛の中で、互いに愛し合うことです。」とあります。
父を愛し、御父の愛を受けて生きてきたイエスの全生涯が、父の「戒め」そのものであるということを聖霊の働きによってなされることを見ていきたいと思います。

 きょうの福音の中では、イエスは、父にお願いしてくださいました。その願いとは、イエスが地上を離れるとき、永遠にわたしたちと共にいる他の弁護者を遣わしてくださいます。これはわたしたちを過ちから守る「真理の霊」であります。わたしたちに真理を証しして、悟らせ、イエスの教えを思い起こさせ、彼らを誤りから守る聖霊のことであります。ヨハネ福音書では、イエスは「父」から与えられた「子」として、父から与えられた業を行なうのです

 父が弟子たちに、他の弁護者である聖霊を遣わすからです。イエスが去った後弁護者を遣わすことで、父はイエスが語ったすべての言葉や行いを解き明かす働きをします。

 告別の説教と言われている、説教の中で、イエスが父のもとに帰ると知った弟子たちは、寂しさだけでなく、恐れにも囚われています。敵対する世にあって、どのように生きるべきか、不安だからです。イエスの弟子たちと同様に、ヨハネ福音書が書かれた時代のキリスト者も不安の中にありました。

 一世紀末のユダヤ人社会ではイエスをキリストと告白することは村八分にされることを意味しています。しかし、ヨハネはイエスを信じる共同体を満たしている聖霊は他の別の弁護者イエスによって、決して「孤児」とはされない、と説いています。このような愛に包まれ、励まされてイエスのみ言葉を生きることができるのです。

 他の弁護者である聖霊なしでは、イエスの語った言葉の意味を弟子たちは自分たちだけでは理解することができないのです。
イエスを通して神から与えられる言葉は、人間がその知識に頼る限りは、その意味を知ることはできません。そうであれば、イエスと聖霊に守られて、神の言葉の意味を知って生きる者とは、自分の理解に留まることなく、聖霊に頼り、他者へ目を向け、新しい生き方へと向かうものです。
わたしたちは霊に導かれて心の目を開かれて日々の生活を歩んで行きましょう。