9月9日 聖霊降臨後第14主日(C年)特定18


司祭 ヨハネ 石塚秀司


聖書日課 申命記30:15-20、フィレモン1-20、ルカ14:25-33

 フィレモンの手紙は非常に短い書簡です。1章しかありません。しかし、ある神学者は「これは、後世、奴隷問題の根本的解決に向かっての大きな示唆となった。それを変化させる、信仰による義と愛との黎明を告げるものだ。」とこの書を評しています。
 この手紙は、パウロが獄中でフィレモンに宛てて書いたものとされています。フィレモンはコロサイという町の裕福な人で、自分の家をキリスト者たちの集会の場として提供するなど熱心な信仰者でした。当時はまだ奴隷制度があって、オネシモはフィレモンの家で奴隷として働いていたようです。ところが彼は主人に何らかの損害を与えた上に逃げ出した逃亡奴隷であった訳です。そして、どういうきっかけか分かりませんが、獄中のパウロに出会い、その出会いを通してキリストの福音を知り洗礼を受けたのでありましょう。10節の「監禁中にもうけた、わたしの子オネシモ」という言葉はそのことを物語っています。
 パウロはオネシモを自分のもとに留めておくこともできたのですが、フィレモンのもとに送り返すことにします。その際に、オネシモのために何とかしようと執り成しの言葉を語っている、これがこの手紙の中心をなしているものです。
 もはや奴隷としてではなく、奴隷以上のもの、つまり、同じ主を信じるキリストのもとにおける愛する兄弟として、また一人の人間として、さらにオネシモをパウロ自身として受け入れて欲しい。さらに、彼がもたらした損害や負債があるとしたらパウロ自身がすべて責任を負う、だから受け入れて欲しい。このように、オネシモのために必死に執り成しの言葉を書き記しています。パウロのオネシモに対する深い思いと暖かな人間味が伝わってきます。もしパウロが当時の常識に立って、何の配慮もすることなく「あなたは奴隷なんだから当然主人の所に帰るべきだ」とあっさり送り返していたとしたら、そこには何も起こらなかったでしょう。おそらく新約聖書にこの手紙は存在しなかったかも知れません。しかしパウロは、神様のみ心は何であるかに心を留め、そこに立って重荷を担っていきます。
 ルカによる福音書の26節、「家族を、更に自分の命であろうとも、憎まないならば・・・」の「憎む」と訳されているギリシャ語には、「何々よりも少なく愛する」、AよりBを少なく愛するという意味があると言います。つまり、この世的な常識、あるいは、自分の人間的な思いよりも、神様のみ心を多く愛しなさい、み心を優先しなさい、そこに立ち続けなさいということになります。そして、そうすることは結局愛する人々や家族を、そして自分自身を本当に生かすことになる。いやそれだけではない、この世界に対する世の光ともなっていくでありましょう。パウロが、フィレモンとオネシモに対して信仰的な決断をし、その重荷を担っていったことが世の光となっていったようにです。
 イエス・キリストも、十字架にかけられる前夜、ゲッセマネの園というところで「わたしの願いどおりではなく、御心のままに・・・」と祈られました。自分の思いよりも父なる神様の御心を多く愛されたのです。その歩みの向こうに、十字架の向こうに新しい命のよみがえり、ご復活がありました。そして、イエス・キリストの歩みに真実を見た多くの信仰者たちが、同じように神様のみ心を多く愛することによって、そのよみがえりの命に生かされていったのです。それは個人的な新生のみならず、時には社会を大きく変えていく力となっていきました。これは今も変わることなく信じる者に与えられる恵み、救いです。


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