10月21日 聖霊降臨後第20主日(C年)特定24

司祭 アンデレ 小松幸男

聖霊降臨後第20主日早祷式説教


 聖霊降臨後第20主日の第1日課・第2日課を中心に、しばらくご一緒に考えてみましょう。
 第1日課はエレミヤ書第29章1,4節から14節、第2日課は使徒言行録第16章6節から15節となっています。第1日課においては、バビロンで捕囚となっているイスラエルの民に対して、神が「家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。妻をめとり、息子、娘をもうけ、(中略)わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。」(5-7節)と告げておられるとエレミヤは言う。
 つまり、捕囚であることを避けるのではなく、捕囚として送られた町の平安を祈り、その町の平安を生み出すことが、神の平安にあずかることであると、エレミヤは教えているのです。
 一方、第2日課の使徒言行録に目を移しますと、そこには、パウロとテモテが、「ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった。それで、ミシア地方を通ってトロアスに下った。その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、『マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください』と言ってパウロに願った。パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと,確信するに至ったからである。」(16章7-10節) とあります。
 ここでは、幻を通してパウロたちの歩むべき道を示してくださっています。しかもそのゆくべき道とは、これまで彼らが行ってきた福音の道とは異なった、新しくギリシァの地に向かうということでありました。これがイエスの霊の導きだったのです。
 エレミヤの教える、捕囚の町の平安を生み出すことの意味、また異邦の地にまでパウロたちを導いたイエスの霊は、今を生きるわたしたちに対して何を語りかけ、どのような道をお示しくださっているのでしょうか。
 人それぞれに与えられる、不安・苦しみ・悲しさなどと直接向き合いながら、その出来事において示される主の平安にあずかるために祈りましょう。また、わたしたちの心はいつも、自らの立場や慣習、自分が行いたいことにこだわり続けている現実をも見失うことなく、日々新しいみ旨に聞き従いたいものです。



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