11月4日 聖霊降臨後第22主日(C年)特定26


司祭 ヨハネ 黒田 裕

◇ヨハネによる福音書14:1−6◇

 11月の第一日曜は多くの教会で逝去者記念礼拝が行われていることと思う。そこで今回は、逝去者記念の日課、具体的にはヨハネによる福音書14:1〜6から説教をさせていただくことをお赦し願いたい。

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 3年前のことだが、かつて任を負っていた教会で、教籍簿の全面的な整理をしたことがあった。というのも、その教会は長く無牧状態が続いたため、教籍簿が整理されておらず、教会の事務また宣教活動の上で何かと不都合が生じていたからだった。
 本当のことをいうと、ボロボロの教籍簿を見たとき、はじめは暗澹たる思いになった。が、それでも整理を進めていくうちに、不思議なことに教籍簿に「愛着」を感じ始めた。そして、かつてこの教会で礼拝し、生き、楽しく語り合ったであろう方々の姿が目に浮かんできた。あらためてその教会の歴史とその重みに思いを寄せることができた。
 ところで、教籍簿を通していろいろな方々の「歴史」を垣間見た気がした。たとえば樺太や日本の植民地下にあった朝鮮の教会へ転出された方々には特に時代の反映を感じた。また、生後まもなく亡くなられた赤ちゃんや若くして当時の流行り病で命を落とされた方、また、結婚後まもなく亡くなられた方もおられた。
 その人々の歴史を大切にすること、それはまた、人によって長さの違いはあれ確かにこの世で生きられた命を大切にすることでもあろう。さらには、亡くなられた方々との魂の交わりを感謝すること、それが逝去者記念なのだ、ということを強く思ったことであった。
 しかしながら、亡くなられた方々との交わり、と言っても、実感としては感じにくいというのもまた確かなことであろう。にも関わらず、それでいい、とも思う。何故ならその交わりの完成は、イエスが私たちと交わしてくださったあの約束に賭かっているから。その約束の完成にかかっているからである。「おぼろげなもの」が明らかになるのは、その時まで待たねばならないし、待てば良い。
 では、その約束とは何か。それが本日の福音書に示されている。大きく分けて3つある。1つは「わたしの父の家には,住まいがたくさんある」(2節)こと。神の家には限界がなく、「満室にてお断り」はない。だから心配しなくていいよ、しばしの別れをする兄弟姉妹はちゃんと天に住まいが用意されているよ、とのメッセージを読み取れる。2つ目は再臨の約束(3節)。3つ目はイエスが「道」であること。イエスを通して私たちは神を知り、神と出会い、神のもとへと連れていって頂ける。また、その「道」を通して逝去された方々と交わっていることを知るのである。
 本日の個所はイエスの命令で始まっている。しかし、ある神学者は「イエスの命令は、それがキリストの命令であるがゆえに約束である」と語っている。
 それゆえこの個所全体が「約束」の個所である。
 逝去者記念、それは私たちが逝去者を想起すること以上に終わりの時の約束によって決定的に支えられている。そのことをいま一度おぼえ、キリストが私たちと交わして下さった約束を思い起こし、神に感謝と賛美をささげたい。


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