11月25日 降臨節前主日(C年)特定29



司祭 パウロ 松本正俊

降臨節前主日説教(ルカによる福音書第23章35節〜43節)

 「イエスよ、み国に おいでになる時に イエスよ、わたしを 思い出して下さい。」古今聖歌集増補版2番の歌です。この歌を、私たちは、「イエスよーみくににーおいでになる時にーイエスよーわたしをー思い出して下さいー」というように、だらだらと延ばして歌うのではなく、「イエスよ、みくにに、おいでになる時に、イエスよ、わたしを、思い出して下さい。」ときちんと休止符を意識して、あまり大声ではなく、そして内省的に、繰り返して歌う時に、福音書の十字架物語が、私たちの心に生き生きと響いてくるのを感じることができます。
 この主日の福音書は、イエスさまの十字架物語の一つです。イエスさまは、十字架の上で七つの言葉を言われました。この主日のみ言葉「はっきり言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」は、イエスさまのある時には叫びであり、その他のケースではつぶやきであったりするみ言葉の中で、とてもあふれる愛に満ちたみことばであります。
 この場面は、悲しみで血のにじむような目で見つめる女性たちを除いて、主イエス様の側に立つ者は誰もいません。議員も祭司も、ファリサイ派の人も律法学者も嘲笑と罵りをイエス様に投げかけました。イエスさまの愛した民衆は、ルカによれば「立って見つめていた」というふうにだけ記しています。イエスさまの右と左に同じ十字架刑を受けていた人がいました。一方の人は、主イエスさまを罵りました。しかし、もう一方の人が自分たちの十字架刑は当然であるが、「この方は何も悪いことはしていない」と発言し、冒頭の歌のことばをイエスさまに願ったのでした。これは正に信仰告白でした。この犯罪人の告白は、とても光っています。なぜなら、嘲りと罵りが渦巻く状況の中で、死の瞬間に行った真実な告白だからです。この告白は、最初で最後のただ一回限りのイエスさまとの出会いでした。しかし、真摯で一途な死の直前の告白でした。この告白にイエスさまは、真心から向き合い応えられたのです。
 この十字架物語をイメージすると、あふれる愛が十字架を覆っており、あらゆる瞬間にも、人々への救いと愛と命を与えようと待ち構えておられるような救い主を感じます。そのことが私たちへの福音です。この出来事を「立って見つめる」民衆の姿は、私たちの姿でもあり得ます。今こそ、私たちは、神さまが与えようと待ち構えておられる溢れるばかりの愛を、主への信仰告白をすることによって、心から受け取っていくことが求められているのだと思います。

 

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