1月20日  顕現後第2主日(A年)



司祭 ペテロ 浜屋憲夫

バプテスマのヨハネを思う

 バプテスマのヨハネは、主イエスと同じ時代の人物でした。当時のイスラエルの状況の中で、主イエスと同じものを見て、同じ空気の中で活動をしていたのです。どちらも洗礼を行い、どちらも「悔い改めよ。天の国は近づいた」という言葉を語りました。しかし、二人のメッセージが伝えるものは全く異なったものでした。ルカが伝えるバプテスマのヨハネのメッセージの一端はこのようなものでした。『そこでヨハネは、洗礼を授けてもらおうとして出て来た群衆に言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。」(ルカ3:7)』。
 まことに厳しい、悔い改めの要求です。バプテスマのヨハネの要求する悔い改めは中途半端なものではありませんでした。もし悔い改めないならば、神の怒りにあってその人は滅ぼされてしまうのです。小手先の反省ではなく、その人の存在をかけた悔い改めをバプテスマのヨハネは人々に厳しく要求したのです。それに対して主イエスのメッセージは、このようなものでした。『心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。(マタイ5:3−4)』。なんという違いでしょう。ヨハネの厳しさに身の震える思いをした人たちが、この主イエスの言葉を聞いた時、どんなに慰められたことでしょう。そして、ヨハネ自身この違いをはっきりと自覚し、その違いの意味を人々に説明しています。『わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。(マルコ 1:7)』。そして本日の福音書の後半には、驚くべきことが語られています。『また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。(ヨハネ 1:37)』。何とヨハネは当時の人々にイエスが自分よりも勝ったものであるということを語っただけではなく、自分自身の弟子にも同様に語り、その弟子がイエスの弟子になることを止めなかったのです。何と徹底した人物だったのでしょう。そして、主イエスも、そのヨハネについてこう語ったのでした。『言っておくが、およそ女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない。(ルカ7:28)』。ヨハネの徹底した悔い改めのメッセージは、時の王ヘロデを糾弾するまでに至り、その故にヨハネはヘロデに殺されてしまいます。誠に旧約聖書が伝える正統な預言者の流れに連なる者としての一生をバプテスマのヨハネは生き抜いて死んだのでした。

 

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