2月3日  顕現後第4主日(A年)



司祭 ヨシヤ 立川 裕

「天の国・主イエスが血を流すところ」

 「心の貧しい人は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」この言葉で主イエスは、弟子たちに教え始められました。人は、経済的に豊かになってくると次に心の豊かさを求めようとします。また、経済的には貧しくても、心の豊かさを求めることを大切にする人もいます。しかし、主イエスは、心の貧しい人が幸いである、と言われたのでした。主イエスは、このように教えられただけではなく、短い公生涯の中で、実際の行動によって、天の国をその人たちの直中へ実現しようとされたのでした。
 貧しい人とは、この世の所有物を自ら放棄した人たちを指すのではなく、奪われ、はぎ取られ、危険にさらされているがゆえに、主なる神以外に依存すべきものを持たない人々なのかもしれません。主イエスは、そういった人々と一緒に食事をされたり、多くの時間と場所を共有されたのです。
 天の国は、食事を共にする晩餐会にたとえられます。主イエスが、どういった人々とどういう形で食事をされたかを思い出すと、どのようなところが天の国なのかがわかります。最後に主イエスが主催された晩餐会は、十字架に磔(はりつけ)の刑にされる金曜日の前夕でした。その時主イエスは、「わたしを記念するため、このように行ないなさい」と言って、パンとぶどう酒を弟子たちに与えられました。そして、私たちは「友のために命を捨てること、これ以上大きな愛はない」「あなたがたはわたしの友である」と決別の言葉を述べられたとき、それらが、十字架上で血を流された主キリストご自身を示していることに気付かされます。主イエスの体が裂かれ、主イエスが血を流すところに天の国があるのかもしれません。
 貧しさが求められたのではなく、主イエスは、現実の中で、貧しくされている人々、大きな圧力に追いやられている人々、病気で思うように働けない人々と共に食事をしながら、彼らが受け入れられる社会の実現のために行動された救い主なのです。
 私は、私たちの日々の晩餐会である「聖餐」が、そういうものでありたいと願っております。司祭が「主はみなさんとともに」と言われるとき、主イエスと向かい合っていることを喜び、主イエスが十字架の上でいつくしみにあふれたみ腕を広げられた姿を思い出し、世界のすべての人びとが主に頼り、救われますようにと祈ります。

 

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