2月17日  大斎節第1主日(A年)


司祭 パウロ 塚田道生

一人の人の従順によって

 パウロはローマの教会へ宛てた手紙の中で、「一人」と言う言葉を何回も使っています。最初の「一人の不従順な人」とは旧約の創世記二章、三章に出てくるアダムを指しています。アダムは神様が決して食べていけないとの命令に背いて、「善悪の知識の木」から美味しそうな実を取って食べてしまいました。アダムは善悪の判断を公平にできる知識でなく、善悪の判断を自分勝手に決める権威を自分のものにしてしまったのです。この物語は人間が自然界に君臨して、この世界を支配し、傲慢に権威を振り回し、神様が与えてくださった資源を独り占めし、害悪を撒き散らしている愚かさを象徴的に示しています。
 もう「一人の従順な人」とはイエス・キリストを指しています。主イエスはアダムのように権威を振り回したり、人間や自然界を征服し、君臨することなく、神の前に従順であられたのです。しかし、悪魔に対しては厳しく生きる道を開いてくださったのです。
 主イエスは四十日間の断食を通して、悪魔の誘惑を退けました。これは金銭や物の豊かさや権力に頼る悪魔的生き方への警告です。人間は神様から与えられた知恵と愛を用いてこの世界に仕え、豊かな恵みを分け合うことで、更に豊になれる知恵を与えられているのです。これを独占しようとすると、人間の知恵は生活と交わりを壊す毒になるのです。
 私たちは物質的な恵みを十分に頂いてきました。また同時に、人間の力や知恵を絶対視して、神様になったかの様に振る舞っても来ました。しかし、今は壁にぶつかって前へ進めない時になっているのです。私たちはもう一度初心に返って、今までの生き方を悔い改め、「一人の従順な人」として私たちに模範を示された主イエスの生き方にならって、神に従う者としての生き方に習い、心豊かな者になりたいと思います。




 

 

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