司祭 イザヤ 浦地洪一
ニコデモとイエスのすれ違い【ヨハネによる福音書3:1〜17】
ファリサイ派に属する議員のニコデモは、夜、人目をはばかりながらこっそりとイエスのもとに訪ねて来ました。
「先生、あなたは神のもとから来られた教師であることをわたしはよく知っています。」わたしはあなたのことは何でも知っていますよと、調子のいいことを言ってイエスに近づいてきました。
これに対して、イエスからは全く関係のない言葉が返ってきました。
「人は、新に生まれなければ神の国を見ることはできない。」ニコデモは、あわててイエスの話題についていこうとします。
「年をとった者が、どうして生まれかわることができるのですか。もう一度母親のお腹に入って生まれてこいというのですか。」
すると、イエスはまた不思議なことを言われました。
「誰でも水と霊によって生まれなければ、神の国を見ることはできない。肉から生まれたものは肉であり、霊から生まれたものは霊である。」
イエスとニコデモの会話はぜんぜん噛みあっていません。ニコデモは、最初に、「神があなたと共におられるのでなければ、あなたのなさるような奇跡を行うことは誰もできません。」と言いました。そこで、イエスは「神の国」のことを話されました。「神の国を体験するための条件」を語り出されたのです。それは、水と霊とによって生まれかわることであり、聖霊による洗礼と水による洗礼を受けることによって、神の国に入ることができるという約束をなさっているのです。水という目に見える物質の洗礼を受けるとき、目に見えない聖霊によって新しく生まれかわるという奇跡が行われるのです。
ニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか。」と言ってこれを受け入れることはできませんでした。「あなたのことは何でもわかっていますよ」と、誰よりも良き理解者であると言わんばかりにすり寄って来たニコデモでしたが、イエスに「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことがわからないのか」と揶揄されることになってしまいました。
ニコデモが求めているものとイエスが与えようとしているものの次元が違っているのです。イエスが神の国、霊の力が働く次元の話をしておられるのに、ニコデモは、母親のお腹から生まれることや、肉の世界の話から一歩も外に出ることが出来ません。
さて、私たちはどうでしょう。
イエスが、私たちに与えようとするものと、私たちがイエスに求めているものとがすれ違っているようなことはないでしょうか。あなたの信仰のピントは合っていますか。