6月23日  聖霊降臨後第5主日(A年)

 

司祭 ヨブ 楠本良招

言 葉

 「同じように、舌は小さな器官ですが、大言壮語するのです。」(ヤコブの手紙3章5節)

 「鬼言葉」という表現があります。以前ある新聞に掲載されていました。「鬼言葉」は他人を傷つけたり、知らず知らずのうちに相手を差別したりする言葉です。「汚い」「くさい」、現代の今も使われている「鬼言葉」です。受け取る人を傷つけ、殺人にも等しい言葉です。この言葉を発する人は何も感じずに言っているのでしょうが、言われた本人にとっては辛いことです。足を踏まれた人にしかその痛さは判りません。 「鬼言葉」は言葉の暴力そのものです。表情は穏やかに見えていても、出てくる「鬼言葉」に私たちは日頃から感性を豊かにすることがとても大切と思います。
 「大言壮語する舌」は知ったかぶったりえらぶったり、実力以上の言葉がまろやかな舌で言うことです。ヤコブの手紙では信徒はそうなってはいけないといさめています。当時の教会では大言壮語する人々が二枚舌を使い、本当か嘘か判断できない状況だったのでしょう。ですから、舌を制御すること、言葉に注意すること、言葉での誤りに努力するように勧めています。
 いかに言葉使いは難しいか判ります。相手の気持ちを思い、お互いが優しさのある言葉を交わすことができるなら、素晴らしい対話が生まれるに違いありません。舌を大言壮語しましように、小言対話できるように謙虚さをもって生きていきたいものです。
 言葉は、本来は他人を励まし力づけるものです。「鬼言葉」に反論でき拒否する力を持つように抵抗できればと願っています。言葉は本来難しいものと思います。本来の言葉は、人を慰め、人を救いうるものです。
 同じ、ヤコブの手紙第3章17節の言葉で「上から出た知恵は…純真で…温和で、優しく、従順で、…憐れみ…偏見はなく、偽善的でもない」とありますように、努力し、誠実になりたいと祈り続けましょう。


 

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