8月25日  聖霊降臨後第14主日(A年)

 

司祭 ダビデ 佐保靖幸

ペトロの福音

 イエスが言われた。『それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。』シモン・ペトロが『あなたはメシア、生ける神の子です。』と答えた。すると、イエスはお答えになった。『シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。・・・』(マタイ16:15−17)

 今日の説教は、この15節から17節の主イエスからの問いかけの言葉と、それに対するペトロの信仰告白の言葉に尽きる。この週はこの言葉を繰り返し読み黙想しよう。
 本日の「福音書日課(16:13−20)から23節まで」の箇所は、マタイによる福音書の第一の嶺・ピークと呼ばれる箇所である。ここから中世スペインの黙想家・十字架の聖ヨハネふうに言えば、主イエスの生涯は「下へ登り」、最高峰である「十字架・復活」へと向かう。嶺に登れば、そこまでに到った道筋やすそ野の様子がよく分かるし、これから向かう次の峰への方向や谷の深さも眺め渡せる。そのような意味で、「マタイによる福音書」に取り組んで、一度しっかりと「福音」を学んでみたいと思う人は、本日の福音書日課の箇所から読み始めるのも一つの方法であろう。ペトロの言動を一つの手掛かりとして。
 『あなたはメシア、生ける神の子です。』ペトロはこのことを告白するために生まれてきた。そう、まさしくペトロの生涯はこの告白のためのものであったと言えるだろう。洗礼者ヨハネが救い主の道を整え、「荒野に叫ぶ者」として生まれてきたのと同じ様に。そしてさらに何にもまして、主イエスが「多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目に復活する」(21節)ためにこの世に来られたように。
 我々が福音書を読み、新約聖書を学び、聖書を研究するのは、実はこの主イエスからの問いかけに向き合い、このペトロの告白に出会うことのためである。
 ところがペトロは、この時自分の言葉の意味がよく分かっていなかった。この告白の数日後には、主イエスから『サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。』(23節)を叱られている。このことを通じてもまた、ペトロは我々を福音体験に導くための役割(貢献?)を果たしてくれている。つまり我々の「イエス理解・福音理解」も、思いやりの善人ペトロ同様に「神のことを思わず、人間のことを思って」いて、「神の愛と恵みの深みに気づき体験する」に到ってないのではないかと警告するからである。
 ペトロにはイエスの仲間だと言われて、「神罰もいとわないと誓って、『そんな人は知らない』と言」(マタイ27:74/フランシスコ会訳)ってしまったあとで「激しく泣いた」経験もある。
 人は皆、幸いを求め、救いを求めて生きている。しかし人は皆、弱く不安定で迷い易い。今ペトロが我々に問い掛けている。『あなたはメシア、生ける神の子です。』とのイエスに対する告白をどう思いますか?あなたはその告白に堅く立って生活していますか?
 そんな時我々は、ペトロの告白も生涯もイエスの深い愛に支えられ包まれていたことを思い出そう。そしてペトロの生涯そのものが語っている「福音」の恵みにあずかろう。


 

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