9月8日  聖霊降臨後第16主日(A年)

 

司祭 ヨハネ 下田屋一朗

 「19 どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。 20 二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイによる福音書18:19,20)
 上の聖句の前段(19節)だけを取り出すなら、それはきわめて単純明快な約束のように見えます。しかし同時に、主イエスは嘘を言われたのであろうかと、頭を抱えてしまいます。「どんな願い事であれ」と主は言われます。愛児を死の手から救うために、どれほど多くの夫婦が心を合わせて祈ったことでしょう。外国の侵略を前にして、どれほど多くの人々が、心を一つにして祖国の救いのために祈ったことでしょう。飢餓、弾圧、圧倒的な自然災害、・・・数えきれないほどの苦難からの解放を求めて、無数の祈りが心を一つにしてささげられてこなかったでしょうか。願いがかなえられなかった事例、約束が偽りであると思われる証拠を、わたしたちはいくらでも挙げることができます。いったい、主は何を約束されたのでしょうか。
 前段の約束は後段(20節)に結びついています。苦悩の中で神に向かって叫び求めるわたしたちの中に主がともにいてくださるという約束です。主はインマヌエルの神、わたしたちとともにいてくださる主です。十字架の死と復活によって罪と悪と死にうち勝たれた主。主イエスは神の決定的な勝利を体現されました。しかしこの世界にはまだ神の支配は貫徹されていません。神の完全な支配、御国が到来するまで、この世から苦難がなくなることはあり得ません。主イエスご自身、ゲツセマネの祈りにおいて、目前の苦難を免れることを願われました。しかしそこから逃れる代わりに、苦難に正面から立ち向かい、それに耐え、勝利する力を与えられました。ルカはこの場面で「天使が天から現れてイエスを力づけた」と記しています。
 苦難の中で心を一つにして神を呼び求めること、どんな状況にあっても ― たとえ願いがかなえられないように思えるときも ― 神への信頼を表明し続けること、それは父なる神への絶対的な信頼を貫かれたただ独りの御子がともにいてくださってはじめて可能になることです。わたしたちは主イエスの歩まれた道を主とともに歩むよう招かれています。主はこの上なく現実的な約束を与えてくださったのです。

 



 

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