12月8日  降臨節第2主日(B年)


司祭 サムエル 門脇光禅

聖書を読みましょう

  本日はアドベント(降臨節・待降節)の第2主日で、いよいよ主のご降誕をお迎えする心備えの中盤にさしかかりました。昔からの慣習でアドベントの期間の各主日にはテーマがあります。ことに本日は「聖書の日曜日」(バイブル・サンデー)といわれています。何十年も昔になりますが日曜学校に1年間休まずに通いますと、新約聖書の分冊をクリスマスにいただけたものでした。初めて手にしたのは、福音書であったと記憶しています。 毎年少しづつたまってゆきました。高校生のとき洗礼を受けたとき聖書をいただきました。とっても分厚いものなんだと感心しました。1326ページもありました。
 たくさんの聖句を暗唱できるまでしっかり読まれるようなみ言葉中心の教会もありますが、聖公会の信徒の中には聖餐式(日本の多くの聖公会の教会では毎主日行なわれている)という主の御体と御血による養いを特に大切にするあまりについ毎日聖書を読むことを軽んじてしまう場合があります。人のことを言う前に自分自身がそうでした。洗礼を受ける前は分冊でしか聖書を持っていなかったのでかえって読んだような気がします。情けないことに受洗後聖書を通読した記憶はありません。確か創世記の神話等でリタイアしたのではと思います。
  創世記の12章からがユダヤ民族の歴史を通しての神さまの具体的な人類救済史が始まるのですから、ここからしっかり読まれることをお勧めします。なんと神学校に入ってから通読するようになったのですからよく牧師になれたものだと自分でも感心してしまいます。
  9年前亡父が受洗したとき、「自分には残されている人生があまりないので、早く信仰の先輩に追いつきたい」と彼は朝、昼、晩と一日3回亡くなるまで1年2カ月の間読み続けました。ときどき手垢で汚れた聖書を手にしながら懐かしく思い出します。
2年前頸椎の椎間板ヘルニアの治療のため入院しました。首を固定され長時間天井しか見つめられないつらく苦しい貴重な経験をしました。病床にあってどれほど多くの励ましと希望をみ言葉から賜ったか知れません。救いに至る要道をことごとく記されている聖書によく聞き、よく読み、よく学びかつ味わい魂の養いとしたいものです。またみ言葉によって強められ、耐え忍ぶことを習い、イエスさまによって授けられた永遠の命の望みを保ち続けることができますよう祈りたいものです。


 

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