12月29日  降誕後第1主日(B年)



司祭 サムエル 小林宏治

「すべての人を照らす −光−」【ヨハネによる福音書第1章1節〜18節】

 光は暗闇の中で輝いている。その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。
 光というと、わたしたちは何の光を思い浮かべるであろうか。生活に欠かせないものとして蛍光灯の光を挙げることができる。暗い部屋を明るくする、なくてはならないものである。それは、わたしたちの視力で捉える光である。聖書の中での光は、神の栄光を指すのに象徴的に用いられている。神が光であるとし、世の光であるイエスにおいて、光は闇に輝いているとする。その光は、わたしたちが視力をもって捉える光以上のものである。わたしたちの心にその光が届いてくる。世の暗闇、またわたしたちの心の暗闇にまでその光が届く。暗闇の中で決して消えることのない光である。
 前に読んだ本がテレビのドラマで放映されていた。題は「アルジャーノに花束を」というものであったと思う。主人公が知的ハンディをもち、ある薬によって知能が向上し、そしてまた、以前の状態へと戻るというストーリーである。ふと見た最終回にまことの光を感じた。主人公は自分が体験した知的向上の出来事さえ忘れて元の状態へと戻って行く。彼の心の中を知ることはとても難しいが、彼を通して人々に与えるまことの光は何よりも人々を幸せに導くのである。彼は言う、「素晴らしい」と。何よりも笑顔をいっぱいの、心からの声が「素晴らしい」と発せられるのである。人々に届けられるまことの光は、誰にとってもまことの光である。ただ、その光をまことの光と知ることが出来ないでいるだけなのである。
 何がどう素晴らしいかと言われるかもしれないが、まことの出来事を知ったとき、その素晴らしさは「素晴らしい」という一言に尽きる。彼はドラマの中でとても嬉しい事が起こった。その出来事をありのままに「素晴らしい」という一言によって言いきるのである。彼の心の美しさを知る人々は、その一言にいたく感動を覚えるのである。そしてその一言は、心の痛みを和らげ、人々に笑顔へと変える力を与える。まことの光とは、そういうものではなかろうか。
 すべての人を照らす光は、すべての人の心の闇に確かなまことの光を届かせる。眼に見える光よりも、他のどんな光よりも、わたしたちの心と体を満たしてくれる神の光である。わたしたちはまことの光が見えている者である。そうであるならば、わたしたちはヨハネの働き、証しの働きへと導かれていることも知らねばならない。主に栄光。

 

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