2003年1月12日  顕現後第1主日・主イエス洗礼の日(B年)


司祭 ステパノ 高地 敬

 
 
イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。
                                          【マルコによる福音書1:9】

 罪のないはずのイエス様が、罪を洗い清める洗礼をなぜ受けられたのか。このことだけ考えていると、答えは出てこないのかも知れません。

 「あの人はこのごろずいぶん変わったね。」「ずいぶん大人になったね。」「前と違うね。」という言い方をすることがよくあります。人生の中で、この「変わる」きっかけはたくさんあります。進学、就職、結婚、また、親になった時、病気の時、大切な人と別れた時、良きにつけ悪しきにつけ、私たちは大きく変わっていきます。
 その一方で、変わりたいと思っても変われない時もあります。「こんな自分じゃイヤだ」と思っても、どうにもできない時。「もっと強くなりたい」と思っても強くなれない時。本当は今のままでいいのに、変わらなければならないと思い込んでいることも多いようです。逆に、自分は変わる必要がないと思う時もたくさんあります。誰がどう見ても、相手の方が悪い。自分は悪くない。だから変わらなければならないのは相手の方だ、自分ではないと思うことがしばしばあります。自分は正しい、今のままでいいと。
 今の自分を受け入れられなかったり、変わる勇気がなかったり、自分だけが正しいと思い込んでいる、それが私たちの姿なのでしょう。そんな私たちに与えられているのが「洗礼」でありました。神様は、「自分自身を受け入れられなくても、私があなたを受け入れる。」「勇気がなかったり、勘違いしているとしても、あなたは変わっていける」と言ってくださっていました。そして、そのための洗礼でありました。
 罪を洗い清めるとは、「過去を清算し、新たに出発していくこと」だとすれば、洗礼は神様から与えられた大きなチャンスと言えます。私たちが新しくなるきっかけはたくさんありますが、私たちを常に受け入れようとしてくださる方から与えられたチャンスは他にありません。「あなたの罪は赦された」とイエス様は言われます。「あなたの過去は、神様ご自身が清算してくださった。だから、あなたは今、新しくスタートしていきなさい。」

 イエス様は、洗礼を受けるところからその活動を始められました。洗礼という「新たに出発していくこと」から始めてくださいました。私たちと一緒に始めてくださる方がある。
 これが私たちに与えられた真のチャンスであったのではないでしょうか。「あなたの過去は、神様ご自身が清算してくださった。だから、あなたは今、私と共に新しくスタートしていきなさい。」洗礼のあとも、この言葉は私たちに響き続けています。

 

 

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