2003年1月26日  顕現後第3主日(B年)



司祭 ヨブ 楠本良招

癒しの言葉

 田中耕一さんのノーベル賞受賞は、私たちの関心の注目となりました。「癒し系」と言われると、確かに田中さんの言葉には何かホッとする不思議さがあります。まだまだ報道されていますが、どんな言葉が出てくるのか、楽しみな気もします。言葉は慎重に使われますが、時としての言葉による癒しやユーモアに安心したりします。
 さて、イエス様の言葉にも癒しとユーモアが見られます。「キリスト教と笑い」(宮野光雄著、岩波新書)という本があります。その表紙に「イエスは笑ったか?」と記されています。キリスト教は何となくとっつきにくく、敷居が高くて教会にはなかなか入れなく勇気がいると言う声もよく聞きます。イエス様は笑われた、一体どんなユーモアなのでしょうか。イエス様の笑いがあれば、教会にも親しみがより持たれるのではないでしょうか。
 一つの例えは、「幼な子を祝福されるイエス様」です。人々が子ども達をイエス様の元に連れて来た時のこと。そのことを止めようとした弟子達を叱りつけた場面があります。「子供たちを私のところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」(マルコによる福音書10:13−16)。そして、子ども達に顔を向けて、「彼らを抱き上げ、手を置いて祝福された」のです。イエス様の口元には当然微笑みが広がったことでしょう。他にもイエス様の癒しの言葉が見られます。ガリラヤのカナでの結婚式の披露宴で、水をぶどう酒にかえる話があります。人々の喜びを一層大きいものにしました。イエス様は出会いの度に人々に微笑みかけ、喜びと信頼と希望の雰囲気に引き入れていきました。貧しい人々、苦難の中にいる人々を癒されました。「イエス様が帰って来られると、群集は喜び迎えた」(ルカによる福音書8:40)のです。イエス様は私たちの魂を慰め、癒し、そしてホッとする言葉もかけて下さいます。その言葉の不思議さに注目したいと思います。イエス様の癒しとユーモアの観点から聖書を読めば、新しい発見を見つけ出すかもしれません。

 

 

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