2003年6月1日  復活節第7主日(昇天後主日) (B年)

 

司祭 イザヤ 浦地洪一

「わたしたちのように、彼らも一つとなるためです」【ヨハネ17:11】

 ヨハネによる福音書では、主イエスは、弟子たちへの長い告別の説教のあと、「父よ、時が来ました」で始まる長い祈りが続く。 今週の福音書は、その祈りの一部である。
 主イエスは、「聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください。わたしたちのように、彼らも一つとなるためです」と祈る。言葉の順序をかえると「彼らが一つとなるために、彼らを守ってください」となる。弟子たちの集団が一つとなることの大切さが強調されている。単に、一致や団結というスローガンをかかげるのではなく、弟子たちのあり方の本質にかかわっている。それは、父である神と、子である神が一体であるように一つでありなさいという、この世に具体的に見える形で現される神の本質を映し出す姿が求められている。
 弟子たちを思う主イエスの祈りは、今の私たちの教会に対する主イエスの祈りである。しかし、教会の現実は、この主イエスの切実な祈りを知りながら、求められているものからほど遠い。教会とは何か。教会とはいかにあるべきか。その本質の一つが教会の「一致」にあることを忘れてはならない。
 オールをそろえて漕ぎだす船を思い描く。漕ぎ手の呼吸が合い、繰り出すオールの動きがピタッと一致するとき、その船は最大の力を得て速度を増す。かけ声だけでオールはバラバラ、力んでいるだけでは船は進まない。さらに船が向かう目的地が定まらないと、呼吸も力も一つにはならない。
 「わたしを世にお遣わしになったように、わたしも彼らを世に遣わします。」「彼らも、真理によってささげられた者となるためです。」
 教会には存在の目的がある。遣わされた使命を果たすために、一つとなる、教会の本質をもう一度思い起こしたい。


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