2003年9月21日  聖霊降臨後第15主日 (B年)

 

司祭 ヨブ 楠本良招

朝を迎える

 「泣きながら夜を過ごす人にも  喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる」(詩編30:6)
 私たちは、思わぬ病や入院等で日常生活を中断せざるを得ない時があります。親しい友人に相談しても、悶々として心は石のような重さを感じます。
 ある若者は、下腹部に異常を感じたため通院しました。組織検査の結果、悪性腫瘍との診断がでました。医師の説明を本人と家族は緊張しながら聞きました。大きな手術と長期間にわたる化学療法との事でした。告知を受けたその日、すぐに牧師に相談しに来ました。「どうして子供がこんな目に会うのか」「なぜ神様はこんな苦しみに合わすのか」。思っていることが矢継ぎ早にでてきました。
 親は子供の苦しみを代わってやりたい気持ちを願い、ひょっとして子供が親より先に召されるのではないかと悲愴さがひしひしと伝わってきます。親の辛さ、悲しみは例えようもありません。慰めの言葉すら見つかりません。かなりの時を経て次の様な話しをしました。神様は一番良い方法で導いて下さる。イエス様は手術する子供、家族と一緒に、重荷を担って下さる。『苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む』と、聖書の言葉を読みながら共に祈りました。両親はさまざまな事を考えながら涙を流されていました。「今は涙ながらに祈るなら、神は必ずいつの日にか喜びの朝を迎えさせて下さる」と伝えました。
 その若者の長時間にわたる手術も成功し、長期間の化学療法を受けました。悪性腫瘍は90%以上除去されて安心との医師の話しに、神様は感謝の祈りをささげました。医師、両親の愛情に満ちた看病により、6ヵ月後に無事退院しました。
 この若者に、もし病がなけれな、何不自由なく過ごしていたかもしれません。しかし、病によって、人の痛みを知る、やさしさを持つことができました。これからは人のために生きようと、医師の道を歩もうと希望を持っています。親の愛情と熱き祈りがありました。泣きながら、夜を過ごしたからこそ、喜びの朝を迎えたと信じています。


 

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