2003年11月16日  聖霊降臨後第23主日 (B年)

 

執事 ダニエル 大塚 勝

「気をつけていなさい」【マルコによる福音書13:14−23】

 降臨節(アドベント)が近づいてきました。本日の福音書は、再臨のキリストを迎える期節にふさわしく終末的な雰囲気を示す小黙示録(マルコ13章)から採用されています。「憎むべき破壊者と偽キリストの出現」への警告であります。
 イエスは、世界と人びとに未だかつてなかったような苦難をもたらす「憎むべき破壊者」が必ずやってくるといわれ、不信仰と憎しみとが渦巻く世界の出現を予告されます。あちらこちらで偽キリストや偽預言者が出現して混乱と喧噪を助長しするであろうともいわれます。どのような苦難に私たちが見舞われるのかはわかりませんが、その時間的余裕は殆どないというほど突然に襲ってくるといいます。
 かつて、30数年前にテレビで見たビアフラ戦争難民の少年の顔が忘れられません。恐れとあきらめと怒りが複雑に絡んだ表情に見えたことを記憶しています。それ以後、ソマリア難民にも、パレスチナやアフガン難民にも同じ表情を見ました。リベリアの少女にも見ました。時と場所が離れた彼らの、同じ表情と、穏やかな平和がほしい、学校に行きたいという異口同音の訴えに心が痛みました。彼らには自らの生命の安全を守る手段も場所もなかったのです。
 豊かな日本では、ここ数年、少年が関わった凶悪な犯罪が増加しています。最近も少年が家族を殺傷する事件がありました。十分に食べ、小綺麗な服を着て、そして通学することが出来る学校がある彼らにも、本当は居場所がなかったのです。ここにはすでに「憎むべき破壊者」が出現しているように思えます。そこには不信仰と憎しみの波が逆立っているように思います。
 イエスは主にある平和の実現を教えられました。イエスが教えられた平和は、私たち一人ひとりがその人格と個性を尊重され、お互い信頼しあい、主体的に生きることが認められる状態です。しかも、そのような平和は私たち一人ひとりがそれぞれの立場からその実現のために努力することによって与えられるものです。
 私たちの周りには、病気によって、災害によって、あるいは差別や偏見によって、心の平和を奪われている人びとが大勢います。この社会の中で、大きな苦しみや悩みをもつ人びと、生きていくことが非常に辛い人びとがいます。そのような人びとの「悲しみ」や「苦しみ」を、私たちが共に分かち合うことは、たやすいことではありません。しかし、少なくとも、私たちは、彼らの「心からの叫び声」に真剣に耳を傾ける人間でありたいものです。
 私たちの心と行いを惑わすもの(偽キリスト・偽預言者)が出てくるとイエスはいわれます。しかし、主にある平和は必ず実現するという希望を、イエスは私たちに与えてくださいました。
  「主がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。しかし、主は御自分のものとして選んだ人たちのために、その期間を縮めてくださったの である。」(マルコ13:20)
 私たちは、誘惑に負けないように守りと導きを神に祈り、隣人・周囲に気を配り、偽キリスト・偽預言者に気をつけ、目を覚ましていたいものであります。


 

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