2004年12月12日  降臨節第3主日 (A年)


司祭 バルトロマイ 三浦恒久

野ばらの花を一面に咲かせよ

 わたしの生まれた北国では、9月になるとストーブが恋しくなります。そして、次の年の5月ごろまで、ストーブが活躍します。家族は自然とストーブの周りに集まり、暖を取りながら、ラジオを聴いたり、漫画を読んだり、それぞれが思い思いに過ごすのです。懐かしい思い出です。
 いつの頃からでしょうか、クリスマスがわたしにとって、かけがえのないものになったのは。不思議なことなのですが、クリスマスが近づいてくると、わたしの心が温かくなってきます。飼い葉桶のイエスを心で念じて想起すれば、わたしの心の中でストーブが燃えはじめるのです。そして、わたしの心に懐かしさがこみあげてきます。
 イエスはまるでストーブのようです。自然とイエスの周りに人々が集まってきます。イエスが温かいからでしょう。こんなにも世界が寒々としている今日、人々はイエスの温かさを求めています。
   
    荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ
    砂漠よ、喜び、花を咲かせよ
    野ばらの花を一面に咲かせよ。 〔イザヤ35:1〕

 イザヤのこの預言は、紛れもなく「荒れ野、荒れ地、砂漠」に向かって語られています。すごい預言だと思います。人間ならまだしも、全く応答の期待できない無機質なものに向かって、絶望的な状況の中で預言しているのですから。しかも、イザヤは希望の歌をうたっているのです。
 イザヤのこの執念、切なる願いは、やがて聞き届けられます。

    マリアは月が満ちて、初めての子を産み、飼い葉桶に寝かせた。〔ルカ2:6、7〕

 飼い葉桶の嬰児は、荒れ野、荒れ地、砂漠に咲いた野ばらの花です。「野ばらの花を一面に咲かせよ」というイザヤの預言は、イエスの誕生によって実現しました。荒れ野、荒れ地、砂漠に、失われていた温かさが回復されました。
 わたしたちもあのイザヤのように、この世界に向かって預言しようではありませんか、「野ばらの花を一面に咲かせよ」と。失われた温かさを回復するために。

 

 


 

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