日本聖公会 京都教区 奈良基督教会/礼拝堂は国の重要文化財となっています

◇恵みの橋渡し

原則 毎月第1水曜日

6月13日(水)10:00 マルコによる福音書5:21~ [ヤイロの娘とイエスの服に触れる女]

 イエスと弟子たちが、ガリラヤ湖畔の町カファルナウムに戻ってくると、大勢の人々が集まってきた。そこへ、ただならぬ様子でやってきたのは、会堂長の一人ヤイロ、イエスの足元にひれ伏して懇願した。「わたしの幼い娘が死にそうです。どうかおいでになって手を置いてやってください。」イエスは必ず助ける決意をしてヤイロの家にむかった。

その途中、もう一つの出来事が起きる。12年間も出血の止まらない女性(おそらくは婦人科の病、当時は出血は不浄とされ、その人に触れた人も穢れる。レビ記15:25)は治療のために財産を使い果たした。イエスのことを聞き、群衆に紛れてその方の服にでも触れれば癒していただけると信じて、後ろから近付いて服に触れた。そのとき出血は止まった。そのことにイエスは気づかれた! そして、振り返ると「わたしに触れたのは誰か」。女の人はおそれながらひれ伏して、イエスに自分のことを話した。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」と祝福を願い声をかけられた。

そこへ、ヤイロの家から「お嬢さんは亡くなりました。」と連絡が届いた。 ああ、間に遭わなかったか…。けれどもイエスは「恐れることはない。ただ信じなさい」とヤイロに言われた。そして家に着くと、両親と弟子の「ペテロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて娘の部屋にはいkつて行かれた。娘の手を取ってに「タリタ、クム」(「少女よ、起きなさい」の意。このことばは主の肉声として心に記憶され、聖書に残された)と言われた。

二人の女性がイエスに呼ばれた。12歳と12年間の病と穢れ、死から命へと呼び戻され命を生きるものとされた。

 

◇マリア会

6月6日(水)9:30 「マグダラのマリア━聖書の女性たち1」

今年のマリア会では「聖書の女性たち」をシリーズで取り上げていきます。

今回は新約聖書「ヨハネによる福音書」20:11-18、 「マルコによる福音書」16:9-11より。

聖書に登場する何人かのマリア、その中の「マグダラのマリア」の物語。マグダラは地名、ガリラヤ湖の西岸にある町。マリアは「七つの悪霊に取り憑りつかれいる」(ルカ8:2、マルコ16:9)と人々にいわれ、彼女もとても苦しみ悩んでいました。ところがある日、イエスに出会い、七つの悪霊から解放されたのです。彼女はそれからはイエスに従がう人々とともに働くようになりました。しかし3年後、イエスは捕えられ、十字架にかけられて殺されてしまいます。安息日が始まる前に急いで遺体を埋葬したので、せめてイエスの体をきれいにしたいと思い、日曜日の朝早く、マリアは墓に出かけたところ、墓は空でした。呆然としていると突然、後ろから「マリア」と懐かしい声が聞こえました。振り向くとイエスさまが立っておられました。そして「わたしは復活したことを弟子たちに告げなさい」と言われました。こうしてマグダラのマリアは使徒たちへの使徒となったのです。

◇アダマの会
原則 毎月第2水曜日(水)14:00 

6月13日(水)14:00「主の栄光」出エジプト記(24)第40章 最終回

イスラエルの民がモーセに率いられエジプトを脱出したその時を「第一の月」とし、暦が始まった。その一年後の40:17「第二年の第一の月」に幕屋が建てられた。

40:16 「モーセは主が命じられたとおりにすべてを行った。」何度も繰り返される。イスラエルの民の神への従順。

神の栄光が雲となり幕屋に満ちていた。40:36「雲が幕屋を離れて昇ると、イスラエルの人々は出発した。旅路にあるときはいつもそうした。」

その後もイスラエルの旅は続く。24回にわたって出エジプト記を読んできたが、今回で終了。

◇聖書研究会
原則 毎月第4水曜日

6月27 日(水) 14:00 「箴言」第7回 第16章「備えてくださる神」

16:1「人間は心構えをする。主が舌に答えるべきことを与えてくださる。」人間が何を意図しようと、実際に起こることは、神の決定の中にある。神を畏れつつにすべきことをしようとするとき、神が必要なものを与えてくださる。

16:9「人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる。」主なる神を畏れ、主を信じて従おうとする生活。主と共に歩む道の幸い。

主を畏れる歩みの中で、わたしたちは「恐れるな」という励ましの声を聞く。