これ以上ない 無条件の神様の愛

司祭 ヤコブ岩田光正
愛は、新約聖書の原語ギリシャ語では アガペー 」と言われます。アガペー は神様の無条件で完全な愛を意味します。一方、 エロース という言葉があります。この言葉は本来人間的な自分中心的で不完全な愛を言います。この2つの言葉は、イエス様の誕生される前からギリシャの哲学者たちの中で用いられていました。アガペーは、人間の世界ではありえない普遍的な概念として彼らは考えました。しかしその後、救い主イエス・キリストが私たちの間に来てくださいました、この時、キリスト者は、イエス・キリストの中にアガペーの愛を知りました。以来、聖書記者たちは、イエス様の語られた神様の愛にアガペーを用いるようになったのです。たしかに人は、どれだけその人のことを愛しているように思っていても実は自分の都合の良い様に愛している限界を持った愛です。
相手が自分のことをいつまでも理解してくれなかったり、裏切ったり、与えるばかりで何も期待に応えてくれない時、人はその人を愛せなくなってしまいます。だから、アガペーではなく、人間の愛はエロースなのです。今週の福音は、イエス様が天に帰られる時を前に弟子たちに告げられた告別説教の箇所です。イエス様は彼らに言われました。「 わたしの愛にとどまりなさい。」 私たちはどうしたらイエス様の愛にとどまることができるのでしょうか?イエス様は言われます。 私の掟を守るなら、私の愛にとどまっていることになる。」 イエス様の言われる掟とは、私たちに「互いに愛し合いなさい」 というものでした。では、イエス様は不完全な私たちに到底できないアガペーの愛を守りなさいと語られたのでし ょうか?もしもそうなら、自分に関して言えば、守る自信がありません。
反対に神様の前に後ろめたい自分に気付かされるだけです。そもそも人は律法の掟を守ることができませんでした。結果、神様の愛にとどまることができませんでした。では、果たしてイエス様は、人のできない掟を守れとのメッセージを伝えるために来られたのでしょうか?決してそうではないはずです。イエス様は、人がこれまで決して知ることのできなかった神様の愛があることを知らせに来てくださったのです。イエス様はこの神様の愛を生き様で示されました。イエス様は神様の愛から離れては悲しい思いで生きている人々に寄り添い、神様の愛を伝えました。そして、人が神様にとってかけがえのない大切な存在であることを教え、慰め、励まされました。そして最後、今週の福音の言葉にある通り、この神様の愛を十字架の上で現して下さいました。
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」人は誰でも自分が他人から愛されていることを知った時、他人を愛することが出来ます、しかし、それだけでは満たされません。人は神さまからの愛を知った時、真に満たされます。その時、人は人の思いを超えて更に他人を愛することができるのです。弟子たちはイエス様のこれ以上のない愛を知りました。そして、今まで彼らがそのつもりでいたイエス様に対する愛が自己本位であったことに気付かされました。同時に、神様から愛されていることを知ったのです。この時彼らの心は大きな喜びに満たされました。それは、神様とイエス様、イエス様と自分たちが愛でつながっているという確信です。この確信に励まされ、彼らはその後、イエス様の愛にとどまり、これまで以上にお互い愛し合うことができました。 
(復活節第6主日の福音より)

 

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