『創立百十三年記念礼拝説教』2005424

司祭ペテロ浜屋憲夫

 今年の創立記念礼拝には、ウイリアムズ主教さんの話をしたいとずっと思っていました。それは、昨年、本年と立教池袋中高の生徒達のブラスバンドを立教学院創立130年記念事業の一環で、アメリカ、ヴァージニァ州のリッチモンドにあるウイリアムズ主教さんのお墓を訪間し、記念礼拝、記念演奏をするという仕事に関わり、私の中でウイリアムズ主教さんへの思いが高くなつたからでした。

 また、昨年の創立記念日にもお話しましたが、私は立教にいた6年間毎年中学1年生にウイリアムズ主教さんの生涯を一学期間かけて教えていました。立教学院が作った、20ページくらいのウイリアムズ主教の生涯を簡潔に書いたリーフレットを教科書にして教えるのです。毎年、毎年同じ事を教えるのですが、毎年教える毎に自分自身が感動してしまう事、そして今時の中学生も、この昔の偉い人の話を聞いて、偉い人だと素直に感動するのですね。  
  そんな風にして教えていた中に、ウイリアムズ主教さんが、京都聖ヨハネ教会を自分のポケットマネーで建てたのに、誰にもそれを言ってはいけないといって、その落成式にさえ出席することなく、その日は大津の信者さんのお見舞いに行っていた話は、私のウイリアムズ主教さんに関するお話の山場の一つでした。 (右写真:ウイリアムズ主教さん墓地)

 そして、ほかでも無いその大津の教会の牧師に自分がなったことに、そして、この大津の現在の教会がたっている土地がやはり、ウイリアムズ主教さんの私費、ポケットマネーで購入された事などを知るにつけ、私は勝手に不思議な縁をどんどんウイリアムズ主教さんに感じているんですね。そういうわけで、私は自分勝手にウイリアムズ主教さんへの思いをすごく深めて、もっともっと他の人もウイリアムズ主教さんのことを知るべきだ、ことに京都教区の人にはもっともっと知って欲しいと思って、この説教を書き始めたのですが、準備していく内に、私はこんなにウイリアムズ主教のことに思い入れを深くしても、他の人にそれで何をメッセージとして語れるのかなと考えるとだんだん話に自信がなくなってきて、ウイリアムズ主教のことを人に語り伝える意味はどこにあるのかなと考え込んでしまいました。

 そんなことを考えている内に、立教の生徒達と墓前礼拝をしている時のことが思い出されてきまして、あるシーンが私の中に甦ってきました。それは、墓前礼拝で、立教の学院長のメッセージが読まれたのですが、その中に「ウイリアムズ主教さんによって作られた学校は、最初五人の生徒だけでしたが、現在は2万人の学生を持つ学校になっています。」というくだりがあつたのです。私は、この下りを聞いた時に、ハッと胸を突かれましたし、その場にいたアメリカ人のゲスト達も皆、この言葉に胸を打たれた表情をしていたのでした。

 ウイリアムズ主教のことを学ぶことは、ウイリァムズ主教さんの人柄、信仰の有りようを学ぶことでありますが、それに加えて、ウイリアムズ主教さんによって蒔かれた種が130年の時を経て現在の日本聖公会全体の大きな働き(300の教会、施設、病院等々)にまで成長をしてきた歴史の不思議、神様の導きの恵みを思うことだということに気が付かされました。

 一人の人の惰熱が、百年の時を経てどんな人の思い想像も超えて成長していったのですね。まったく、あの福音書の一粒の麦の話、また芥子種の話そのものであります。

 そして、その百年間の時を経ての不思議な成長は、人から人へと受け取り、伝えられ、伝えられ、受け取られてきた歴史であります。そして、その受け伝えの歴史の中身というのは、ほかでもない毎週毎週の礼拝、聖餐・説教の積み重ね、そして人から人への小さな伝道の積み重ねだったのですね。

 聖パウロのこんな言葉を思い出します

  ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。遺わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と書いてあるとおりです。 (ローマの信徒への手紙101415節)

 私たちが、創立記念日を祝い、ウイリアムズ主教のことを思うことの意義は、私たちの日々の教会の業はそんな大きな信仰の歴史の中、信仰の受け継ぎの業の中にあるものであることを、思い出すことにあるとおもうのです。まことに、パウロの言うとおり、私たちは受けたのなら、やはり伝えなければなないのですね。

 そして、思い起こせば、ウイリアムズ主教ご自身もまたそんな信仰の受け継ぎの歴史の中で、信仰を伝えられた人でした。教会の中で、あまり、知られていないようなのですが、ウイリアムズ主教さんの名前である、チャーニング・ムーアという名前は、ウイリアムズ主教のお母さんが通っていた教会の牧師さんの名前なのですね。そして、このチャーニング・ムーアという牧師さんは、どんな方かというと、アメリカ独立戦争で、特権的な地位をすべて失って、全く低調になっていたヴァージニァの元国教会系の教会でリバイバル運動を起こした牧師さんだったのですね。そのリバイバル運動の流れの中で盛り上がっていたリヅチモンドのメモリアル教会にウイリアムズ主教のお母さんが通われ、その信仰が、その牧師さんの名前と共にウイリアムズ主教さんに受け継がれ、そして、ウイリアムズ主教の学んだヴァージニア神学校もまたそのチャーニング・ムーアの起こしたリバイバル運動の中から設立された神学校でありました。

 日本聖公会の創立者、ウイリアムズ主教の存在そのものが、そのような熱い信仰の受け継ぎの流れの中から押し出されてきた人だったのですね。

 ウイリアムズ圭教が、日本を去られた時の逸話は有名です高齢の故に、物忘れなどをするようになられた時、ほんの少しの人を除いて、誰にも知らせずに、さつと日本を去られた。日本にたいする愛情は有り余るほどにあったのに(リツチモンドの病院では、日本語しか語されなかつたそうです)さっとアメリカに帰られたのは、自分が日本に居る費用があったら、自分に替わる若い伝道者を日本に送ることが出来ると思われたからであると伝わっています。80歳になっておられた日本聖公会の大恩人ウイリアムズ主教さんの老後の面倒を日本聖公会が見ないはずは無かったと思うのですが、ウイリアムズ主教さんにすれば、自分の老後よりも、自分の夢である日本聖公会の発展の方がずっと大切だったのです。

 私たちの教会が、創立113年の時を今日お祝いしています。私たちの教会が、これまでに受けたものを本当に改めて、感謝したいと思います。そして、私たちがその受けているものを、また後の人に伝えることは、私たちに与えられた信仰的使命に他ならないのであることを確認したいとおもうのです。  アーメン

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