顕  現

〜神の栄光の現れは足もとから〜

司祭 バルナバ 小林  さとし
   顕現節とは、神の栄光の現われを記念する季節です。1月14日(日)顕現後第2主日の礼拝で読まれるヨハネによる福音書第2章1節から11節はイエスの最初の奇跡であるカナの婚礼の箇所が描かれています。この箇所に対応して選ばれている旧約聖書はイザヤ書第62章1節から5節です。
 どちらもa神の栄光の現われが婚礼になぞらえて描かれています。
 イザヤ62・5「若者がおとめをめとるように/あなたを再建される方があなたをめとり/花婿が花嫁を喜びとするように/あなたの神はあなたを喜びとされる。」
 婚礼とはこの世で最も喜びに満ちた出来事の一つであると同時に自分の存在が神から「望まれ」、「喜び」とされ、私自身が祝福に満ちた存在である事を再確認させてくれる出来事です。
 ところがイザヤ書では、この婚礼の預言を今起こっている出来事として語っているわけではないのです。イザヤ書の次の節を読んでみましょう。
 6,7節「エルサレムよ、あなたの城壁の上に/わたしは見張りを置く。昼も夜も決して黙してはならない。主に思い起こしていただく役目の者よ/決して沈黙してはならない。また、主の沈黙を招いてはならない。主が再建に取りかかり/エルサレムを全地の栄誉としてくださるまでは。」
 神がエルサレムを通して栄光を現される迄、つまり主がそのことを沈黙しないように預言者イザヤは見張りを置くというのです。只単に神の栄光を電車が到着するのを待つように待つのではないのです。
 むしろ神をゆすり起こし、祝福してくださいと昼も夜も黙さないで、見張っているのです。では神の栄光はいつどのように現れるのでしょうか。
 カナの婚礼という祝いの場面でぶどう酒が切れました。イエスは祝福の為に水をぶどう酒に変えます。イエスは祝福がすでにそこにあることを現すために、日常使う水を汲み、神の栄光を現したのでした。イザヤ書はぶどう酒について次のように書いています。8節「あなたの労苦による新しい酒」9節「主を賛美しぶどうを取り入れた者は聖所の庭でそれを飲む」。婚礼で水をぶどう酒に変えるという奇跡は今、私たちの日常の足元に、苦しみや悲しみや喜びを一緒に分け持ってきた仲間達への神様からの祝福があることを告げているのです。祝福は待つものではなく、すでにそこにあるものだからなのです。腰を据え、今ここにいることを味わいましょう。カナのぶどう酒を味わうように。


                       
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