平和のイメージ女性・多国籍人 (イザヤ書66)

司祭バルナバ 小林さとし
イザヤ書の最後は壮大なイメージが描かれています。その締めくくりのテーマは次の言葉から想像できます。6612a「主はこう言われる。見よ、わたしは彼女に向けよう、平和を大河のように、国々の栄えを洪水の流れのように。」平和、それはイスラエル民族としての破滅、離散、再建の苦渋を経験してきた者達にとってどのようなイメージで捉えられていたのだろうか。平和という言葉は、色んな立場の人によって色々なイメージで捉えられている言葉です。
イザヤ書の最後の章、66章には二つのキーワードがあります。それは最終的な神様の審判と苦難からの解放の喜びですが、実はその背後に特徴的な二つのイメージがあるのです。一つ目は女性のイメージです。聖書の他の箇所には神様を父にたとえて、憐れみの主というイメージがあるのですが、そこには強くて裁く神のイメージがあります。逆に66章には慰める神のイメージがあるのです。この慰めるイメージは女性の子宮という言葉から来ているのですが、このことから母が子を抱くイメージが描かれています。
次のイメージは多国籍人です。これは66章の最後の部分に描かれているのですが、当時イスラエル人のみがエルサレムに集められ神殿を再建し、ユダヤ教団を作り神に祝福された共同体を作るといった考え方がある中で、異邦人、つまり外国人がユダヤ教に改宗し、その人々が聖なる山エルサレムに集められ、その人々がイスラエルの人々を集めエルサレムに連れてくると描かれているのです。さらに多国籍人の改宗者が祭司やレビといった宗教者指導者となり人々を導くのです。
そしてすべての人々が毎週神に賛美の礼拝をするというのです。それは「新しい天と新しい地」と呼ばれています。これは驚くべき平和のイメージです。そこには狭い民族主義も派閥も固定化共同体の観念もありません。
平和はすべての人が大切にされ安心して過ごせる神様が祝福される世界のことです。そのイメージは、すべての存在が神から生まれ尊ばれているということ、それゆえに神に立ち返る人は誰でも、世界中の人を神様のもとへと導<のだということが描かれているのです。これは壮大なビジョンです。この夏、平和を心にとめる時、すべての隔たりや争いや仲たがいが神様の平和のビジョンによって新しく生まれ変わらされることを願います。そして私達は神様の平和のイメージに生かされたいと思うのです。

 

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