先ず、聴くことの大切さ
聖職候補生 ヤコブ岩田光正
最近、大型書店で、特に何か買うわけでもなく、今どんな傾向の本や作家が流行っているのだろうと店内を1時間くらい散策していた時、ある傾向に気づきました。
それは、自分を売り込み、人を納得させる話術や説得術のハウ・ツウを扱う本が氾濫していたことです。人を説き伏せ、また議論で勝つことだけを目的とした本も結構目立ちました。一方、人の話を聴く方の側の本はほとんど皆無に等しかったということです。
このことは、ある意味、時代を映している、即ち今の時代、人の話に耳を傾け聴くことよりも、話すことで自己主張することの方が、重要とされる風潮があるのではないかということです。
今日の福音書は、「種まきの譬え」、蒔いた種が4種類の土地に落ち、4種類の違った結果が出たことが書かれています。パレスチナでは、種を蒔くとき、先に種を蒔き、その後に土地を耕します。そのため無駄になる種も多かったようです。種は神様からのみ言葉、福音です。種自体はすべて等しく良いものです。問題は、種が蒔かれた土地です。土地はみ言葉を聴く者の心の状態を指します。私たちはよく「日本は、福音が根付きにくい土地だ」といって、社会的な環境のせいにします。しかし、それは神の恵みを忘れた誤った態度です。
み言葉は神様が農夫であるイエス様によって等しく蒔かれています。国によって、人種によって差があるのではありません。私たちが取る態度次第で、心は石地にも、また良い土地にもなります。先ず、道端に落ちるとは、聞いても全く理解しようとしない態度で自分のこれまでの経験や知識が絶対で頑なになった心の状態を言います。例えば、宗教は非科学的だから信じないといった態度のことです。石地は、パレスチナによくある土地で、岩石層の上に薄い土が、2,3センチあるだけの土地です。み言葉を、すぐに受け入れますが、根がないのですぐに枯れてしまいます。感動し、また、感激しやすいが、困難や迫害が起こるとすぐにつまずいてしまうケースです。次に、茨の中とは、先の石地と違って、問題が地面の中にではなく、外にある人のことです。茨は実に生命力が強く、本来蒔かれた種の成長を妨げようとします。確かに、外の世界には、信仰にとって躓きとなる材料がたくさんあります。金銭、仕事、家庭、趣味、人間関係などです。これらはすべて私たちが生きていく上で避けて通れないものですし、逆に生活に潤いを与えるものです。でもやはり、これらは時に「思い煩いや富の誘惑」となって私たちの信仰を妨げようとすることも確かです。
では、最後の良い土地とは何でしょうか。良い土地とは、耕された後に、何も余計なものがない土地のことです。イエス様は、知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にみ言葉の真意を示されました。即ち、み言葉の種を成長させるのに相応しい良い土地とは「幼子のような者」のことです。
今日の、自分が話し主張することの方が、黙って傾聴することよりも尊重される社会風潮。自分の意見や権利を主張することは確かに大切です、しかし、もしもそこに他者のことにも謙虚に耳を傾ける態度が欠落していたら、それは大きな問題です。み言葉の種は、先ず聞くことから始まります。だから種は地に落ちるのです。私たちは謙虚に幼子の様な者として心開くことで、心の土地をますます豊かな土地として整えて行くことが出来るのでしょう。
イエス様は十字架と復活の意味を幼子のような者にその意味を示し、永遠の命への道を開いて下さいました。イエス様は、今も十字架の下に私たちを集め、十字架の中心で私たちと共にいてくださっています。そして「幼子のような者」でありなさい、と私たちに求めておられます。私たちはみ言葉の種を絶えず播いて頂いています。
幼子のように傾聴し、土地を整え、豊かな実を結ぶことが出来ますように祈り求めて参りましょう。