ご降誕おめでとうございます。
執事 ヤコブ 岩田光正
主の御降誕をお祝い申し上げます。2012年のクリスマスを迎えました。私たちはこの日を心の底から喜びたいものです。
さて、初めに、クリスマスとはどのような日か今一度確認したいと思います。時代は今から2012年前、場所はユダヤ。当時、ユダヤはアジア、アフリカ、ヨーロッパの交差する地域にある小国でした。その為、常に隣接する大国からの脅威にさらされていました。旧約聖書にはこの外国の危機の時、或は、国内の政治や道徳が乱れた時に、決まって預言者たちが現れては神への立ち帰りを求め、愛と正義を説きながらいつか神が救い主を送り、自分たちに神の国を実現して下さると人々に希望を伝えたことが記されています。
2012年前の時代、ユダヤはローマ帝国の支配下にありました。そのような中、ローマからの解放を、武力による革命に求める人たちがありました。一方、宗教的指導者たちは貧しく、虐げられた人たちを顧みることなく自分たちの地位に固執してばかりいました。まさに、そのような時、待望の救い主が誕生しました。その方こそイエス・キリストです。
しかし、この救い主はその当時の人々が期待していたような救い主とはかけ離れた姿で誕生されたのです。その救い主は、スーパーマンのようにある日、現れ強大なローマ帝国を打倒してくれる、そんな救い主ではありませんでした。また、カリスマ的な宗教指導者として人心を一つに導いてくれる、そんな救い主でもありませんでした。その救い主は、私たちと同じ人間の赤ちゃん、裸で無力、養育されなければ何も出来ないごく普通の男の赤ちゃんとして誕生されたのです。しかもきらびやかな王宮の中で将来の王子として注目を集め誕生されたわけでもありません、その救い主は寂しい村にある宿屋の粗末な馬小屋の中で夜中ひっそりと誕生されたのです。更にそこに居合わせたのは母マリア、婚約者ヨセフ、そして天使たちにその誕生を知らされてやってきた貧しい羊飼いたちだけです。
ところで、待望されていた救い主がこのような形で誕生されたという事実、そのことは私たちに何を訴えようとしているのでしょうか。このことは即ち父なる神様からの私たちへのメッセージでもあると思います。思うに、救い主が無力な裸の、他者からの救いの手がなくては生きていけないみどり子としてお生まれになったのは神様が私たち人間をありのままの存在として、即ち弱く、また救いの手がなくては生きていけない存在として肯定して下さっている証ではないでしょうか、このように考えると私たち人間は弱いままで良いのです、だから神様の慈愛が欠かせないのです、御子の誕生を通じ神様は私たちにそのことを語って下さっているのではないでしょうか。
神様からのこのメッセージはこの後のイエス様の歩みにも反映されています。イエス様は御子であるにも関わらず常に謙遜に、また誕生した際にそのことを最初に知らされた羊飼いと同じ、人々の中でも、特に貧しく、弱い立場にある人々にいつも寄り添われた生き方でした。決してこの世的な支配者がそうであるような権力とは無縁であり、宗教的指導者になることも決して欲しませんでした。そして、最後、イエス様は弱い私たちの罪のために、十字架の上で神様の愛を示し、私たちの弱さへの父なる神様の赦しを祈って下さいました。そしてあの復活の出来事です。
それから後、どうでしょうか。イエス様の誕生の出来事は、あの時人知れず静かに誕生されたのとは対照的に2000年を経た今でも毎年、世界中でお祝いされています。地上の支配者で誰もこのような人物はいません。それはイエス・キリストこそ真の「救い主」だからです。真の救いは決して権力や武器、また人間の才知では地上にもたらすことはできません。そのことはこれまでの人類の歴史や今日の状況を見れば明白です。私たちは無力で弱く裸のままで良い、だから私たちには神様の愛と見守りが必要なのです。
最後に、イエス・キリストの誕生は単なる過去に起こった歴史上の「出来事」ではありません。
時空を超えた私たち一人一人の救い主としてその時誕生して下さったということです。私たちのための救い、このことをより心に留め、共に御降誕を祝いましょう。