「隔離」からの回復こそ神様の望み

聖職候補生 ヤコブ岩田光正
一昔前までの日本でも、ハンセン病に対する差別や偏見が根深く残っていましたが、イエス様の時代のユダヤ社会においては、特に、重い皮膚病は、当時、祭儀的に「けがれた」病とされ、患者は強制的に社会から隔離され、公の場に出てくることすら許されませんでした。また、病を罪の結果の罰とみなす当時の観念の中で、重い皮膚病はその典型的な病気でした。
「らい病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い」ます。公の場に姿を現すこと自体が、「反社会的」行為とみなされた当時、病人の行動は、決死の行動であったはずです。
「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」「よろしい。清くなれ」この二人の会話を直訳すると
(病人)「もしあなたが望めば、私を清くできます」
(イエス)「私は望む。清くなれ」となります。
ここでイエス様の「望み」とは個人的な望みというよりは、父なる神様の「望み」です。だから「私は望む。清くなれ」と述べると「清くなる」という結果を起すことができるのです。
「するとすぐに、彼かららいが去り、彼は清められた。
イエス様は神様の「望み」に従って、力あるみ業を行うのであり、病に苦しむ人を「清める」イエス様の手は神様の支配をもたらす手でもあります。
この癒しの力あるみ業は、神様が「望まれた」まさに瞬間です。つまりこの重い病人が「清くなり」、ご自身の支配が宣言されることです。
ところで、この重い病人は、「らい病」に苦しみ、また社会から隔離されている苦しみ以上にやり場のない絶望的な苦悩を抱えていたことでしょう。
それは、神様から自分が今、罰を受けているという罪の呵責です。聖書において「罪」は、神様から離れている状態を指します。この重い病に苦しんでいた人は、人から隔離されていただけでなく、神様からも「隔離」されていたのです。その絶望感は想像に余りあります。そのような暗闇の中に、評判のイエス様が現れたのです。藁をも掴む思いで彼はイエス様にすがり、砕かれた心で自分を投げ出しました。
「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」
この祈るような彼の嘆願こそ、イエス様が神様の「望み」を現すことにつながりました。神様の支配がまたここに宣言された瞬間です。神様はこの男が御自分から「隔離」されていた状態から、ご自身のもとに回復されることを「望まれた」のです。
「たちまちらい病は去り、その人は清くなった。」
病人は、イエス様を通して重い病を癒されると同時に、「罪」をも赦され、その苦しみから解き放たれたのです。即ち病気という「けがれ」から「清められた」のです。
人間の偏見や差別意識から「らい病」を大きな「罪」に対する神様からの罰と見なし、苦しむ人をイエス様は「深く哀れんで、手を差し伸べ」ました。同時に、そのことで「隔離」された人がみ許に回復するようにと父なる神様の救いの手が差し伸べられたのです。当然ですが、イエス様は、奇跡を行うこと自体を使命としたわけではありません。神の望みを運び、父なる神様の支配を成就させることをその使命とされました。奇跡の目的はあくまで神の国の宣教にあります。
それ故に、もしイエス様の奇跡によって人々の目が神の国に向かわず、ただ自分たちの願望を叶えてくれる超人として注がれるだけなら、イエス様は「町の外の人のいない所」に留まることになってしまいます。それにも関わらず、イエス様は次々と苦しみからの癒しを求めて集まる人々が、その「罪」から「清くされる」ことに無関心ではおられませんでした。
最後、そのような葛藤が、十字架という出来事を引き起こしてしまいます。しかし、まさに十字架こそ神様の本来の「望み」を運ぶことになりました。
「隔離」されている全ての人がみ許に集められ、「清くされ」、永遠の命に至るためにです。
十字架こそ神の国の宣教の無限大の「奇跡」となったのです。

 

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