小さいからこそ
 管理牧師司祭 ミカエル藤原健久
             
兄弟があなたに対して罪を犯した なら、行って二人だけのところで忠 告しなさい。それでも聞き入れ なければ、教会に申し出なさい。              
 
(マタイ1815517 
  マタイによる福音書には、教会という言葉が何回か出てきます。教会とは、建物の事ではありません。組織の事でもありません。イエス様を信じる人の群れが教会です゜それも、聖書の時代の教会は、とても小さなものでした。
     「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中に居るのである」とイエス様は言われますが、この時代の教会は、本当に2、3人はどのごく小さな群れが多かったのだと思います。パウロの宣教は、そのような小さな群れを訪問し、「この集まりこそが教会であり、ここにこそイエス様はおられるんだよ」と人々を励まし続けていたのだろうと思います。
     イエス様はお話の中で、教会を、小さいものの代名詞のように用いておられるように思います。そしてイエス様は、小さいからこそ、大切なことができると、私達に教えてくださっているのだと思います。罪の赦し、和解、そして心を一つにして祈ること、これらの最も大切なことは、小さい教会だからこそできるんだと、教えてくださっているように思います。
       私達の教会は小さいです。そして私達はよく、自分たちの小ささを残念に思っています。けれども実は、私達は小さいからこそ神様からの祝福をいっぱいもらって、小さいからこそ本当に大切なことができるのです。
        私達は、大きな事は大きくないとできないように考えています。けれども実は、大きな事は、小さなものでないとできないのかも知れません。例えば世界平和について考えてみたいと思います。私達は世界平和を実現するためには、国や国連などの大きなものが頑張ってくれないと実現しないように感じています。けれども実は、私達一人ひとりこそが、世界平和実現の鍵を握っているように思います。私達一人ひとりが持つ、小さな力が平和のために使われてこそ、それらが集まり、平和が創り出されるのだと思います。私達の小さな力を飛び越して、国などの大きな力だけに期待しても、それはきっと失敗するでしょう。
       小さいからこそ、最も大切なことができる、そのことを表しているのが、イエス様の十字架だと思います。イエス様はたった一人の十字架によって、全人類の罪を贖われました。全人類の救いという最も大きなものは、ローマ帝国という強大な力によって為されたのではなくて、たった一人の十字架という小さなものによって為されたのです。

 

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