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11月1日は諸聖徒日、2日は諸魂日と、間もなく迎える11月は、キリスト教では死者を想う月でもあります。その前日の10月31日は、そうしたことでお化けもたくさん現れるハロウイーンとなったようです。私事で恐縮ですが、今回は親の話を書かせていただきます。 私はすでにつれあいの両親を含めて4人の親すべてを天国に見送っています。宗派は違いましたが、幸い4人ともクリスチャンで、自分の死と向かい合うことを当たり前のようにしてくれました。 元気な間に、それも頭がはっきりしている間に、どのような死を迎えたいかを話し合っておくことはとても大事なことだと思います。見送るものにとっては、本人がどのように死にたいか、どのように見送って欲しいかをある程度知っており、その基本的な考え方を了解しておくと、それでも色々問題は生じましょうが、なあお判断する基礎が与えられていて迷いが少ないように思います。 一番目と二番めになくなった親は、癌で倒れました。癌は嫌な病気だと思っていましたが、亡くなる時期がある程度見当がつき、告知をする事もで来て、少し動ける間に自分のやりたいことをある程度行い、人生を締めくくることができた点では、結果として良かったかなとも思えます。二番目の親は、意志で献体もしましたから、お葬式もせず、一年半ほど後に遺骨が帰ってきたときにひっそりと逝去者記念式をしました。 三番目になくなった親は、ホスピスの仕事に関わり、最も他人様の死をたあくさん見届けてきた人でした。それでも自分の死を迎えるに当たってはやはりばたばたしてしまいました。私が不在だったたあめに、帰るまで持たせようと延命治療のほうに入ってしまい、2週間以上ICUで意識不明のまま過ごしました。延命するなという意志がありましたから、そのような状態を続けることはとても忍びなかったのを憶えています。結局、点滴の中に入れていた薬剤を減らすという形で終わりのときを迎えました。これも本人の希望で盛大なお葬式をしました。 四番目の親は、有料ホーム、我が家、特別養護老人ホーム、最後に認知症の人のグループホームと社会福祉の大変なお世話になりながら、最後を迎えました。これも延命しないという約束でしたので栄養分のない水のような点滴のみで1ヶ月頑張り、静かに召されました。 頑張らなくてもいいのですが、元気な間にやりたいことはやっぱりやっておくこと。そして、特に大事なのは伝えたい気持ちをしっかり伝えておくこと、特に感謝の気持ちは伝えておきたいことです。もう少し後でと思っていると、伝え損なうことがあるのです。生命ある限りしっかり生きるためにも・・・・ |
