|
今年夏の聖公会保育連盟の研修は、九州教区担当で長崎を会場に行われました。研修や原爆被災地の巡礼も大変印象深いものでした。研修終了後に機会を得て、フランス人神父マルコ=マリ・ド・ロッツ神父(通称ド・ロ神父)の長崎での歩みをたどってきました。彼は、ノルマンデー地方の裕福な貴族の家に生まれましたが、28歳のとき、東洋の国日本で宣教する希望をいだき、殉教をさえ覚悟したようです。当時、ヨーロッパでは、日本の26聖人殉教の話も伝えられており、宣教困難な日本の地での伝道に彼の思いはさらに強められたようです。日本に出発するに当たり、父親は多額の金を、一方、母親も24万フラン(現在では10億円以上の値打ち)を送りました。また、彼が勤務していた教会の炊事婦は、老後の為に蓄えていた500フランを日本のためにと神父に託しました。彼は、老後のためにとっておくようにと説得しましたが、彼女は頑として聞きません。心打たれたド・ロ神父は彼女の献げものを受け、このことを一生忘れませんでした。彼女にとっても、富も出世も捨て、困難な日本に旅立とうとする神父の志に、心強くゆさぶられたようです。 ド・ロ神父は、1914年に74歳でなくなるまで、一度もフランスに帰らず、長崎の貧しい人々のために働きました。はじめ長崎で教会堂の建設、教理の本の印刷などに携わりましたが、38歳の時、外海(そとめ)と呼ばれる、東シナ海に面する小さな漁村「出津(しつ)」に移動し、医療活動をはじめ、授産場、孤児院、学校の開設、青年教育所、救助院、いわし網工場、マカロニ工場の建設、製粉所開設(ド・ロソーメンの製作)、飢饉の救済など、貧しい村人のために、豊かなアイデイアで発想し、それを実現しました。建設はもちろん、維持管理にもたくさんの費用がかかりました。それを彼は自分のために備えられた多額のお金から惜しげもなく支出してまかないました。その結果、出津の村は霊的にも、経済的にも豊かな村となり、神父は村人から、本当の父親のように慕われました。 長崎市から車で一時間、神父が残した美しい礼拝堂は、緑の山あいから忽然と姿を現し、今なお光り輝いていました。充実した人生を送るためには、神と人との愛のつながりを生きること。そのために自分の富を用いることの出来る人こそ最も幸せな人と言えるでしょう。ド・ロ神父はそうした稀有な存在でした。彼はイエス様の精神を見事に生ききった、そして多くの豊かな実りを受け取った祝福された人でした。 |
