[ペテロにあてた伝言」 

                           司祭 テモテ宮嶋 眞

 


 

 ルカ福音書にはイエスさまが逮捕され、引き立てられていったときに、ある人が大祭司の手下に打ちかかってその右の耳を切り落としたと書かれています。それに対しイエスさまは「やめなさい」と制止され、傷ついた人を癒されました。武力的抵抗はイエスさま自身がお止めになりました。その後イエスさまは尋問のために大祭司の家に連れて行かれました。ペテロは遠く離れて従ったとあります。そこで、ある女中が、焚き火にあたっていたペテロを目にして、じっと見つめ「この人も一緒にいました」と告発します。ペテロは「私はあの人を知らない」と三度イエス様との関係を否定します。すると突然鶏が鳴きます。

 ルカ福音書22章61節以下「主は振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは『今日鶏が鳴く前にあなたは三度私を知らないと言うだろう』と言われた主の言葉を思い出した。そして外に出て激しく泣いた」とあります。直前の33節で「(イエスさま)ご一緒なら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しています」と言い放った、強気のペテロはいません。この場面で、イエスさまが振り向いてペテロを見られたときに、もしイエスさまが何か一言おっしゃったとしたら、どんな言葉を言われたか、グループの聖書研究で考えたことがありました。

 「やっぱり私の言ったとおりだったろう」「もう帰りなさい」「よくここまでついてきてくれたね。ありがとう」「わたしもあなたを知らない(ペテロをかばっていった)」など、すばらしい言葉が発表されました。どの言葉を聞いても、ペテロは号泣したのではないでしょうか。

  ペテロは、自分を守るために、愛する先生を見捨ててしまった自分の情けなさ、意気地のなさを知り、自分は本当に弱い人間であることに直面させられたのです。

 実際には、二人は言葉を交わしませんでした。ですからイエスさまは、ご自分の思いがはっきりとペテロに伝わったかどうか気がかりだったに違いありません。マルコ福音書によれば、週の初めの日に墓を訪れた3人の女性に対して、天の使いらしい若者が言います。「さあ、行って弟子たちとペテロに告げなさい。あの方は・・・ガリラヤへ行かれる・・・」ワザワザ、ペテロに告げなさいと言われるのは、先の推測からすると、ペテロにはぜひこの復活のできごとをイエス様は伝えたかったのではないでしょうか。

 「私を見捨てたと思っているペテロよ、私はよみがえって、進んでゆくよ。だから、私を見捨ててしまったことを悔いる必要はないよ。そのことをペテロに伝えておくれ。私はよみがえって、歩んでいる」と。イエスさまは、かっても、そして今も、つまずいた一人ひとりの弟子に宛てて、語りかけてくださいます。