[幼児生活団の蒔いた種] 

                           司祭 テモテ宮嶋 眞

 


 

 「私事で恐縮ですが、今回はわたしの幼稚園時代の想い出を書かせていただきます。大阪市内に生まれたのですが、幼稚園は、市電、地下鉄、JRを乗り継いで約1時間かけて通っておりました。「婦人之友」「自由学園」「友の会」の創立者、羽仁もと子(1873〜1957)さんによってはじめられた「大阪友の会、幼児生活団」と言うところでした。

そのユニークな教育は今もなお私の心に深く根付いているように思います。羽仁もと子著作集の中に「おさなごを発見せよ」と言う一文があります。

「その両親や周囲の人びとが、赤ん坊自身にさずかっているみずから生きる力に対して、敬虔な信頼の思いを持っていることから、自然に落ちついた気持ちになって、深い愛情と強い理性と現在最高の知識をもって赤ん坊に接するならば、彼らはたやすくその柔らかい生命にそのよい力をうけるものです。」

週に一回、生活団に通い、生活に関わる様々なこと、例えば冷水摩擦、一人寝、着替え、食べる、料理、音楽などを学び一週間、家庭でそれを繰り返し「励む」。 その結果を「励み表」に記入し、次の週の登団日に友だちと共に見合って、出来たかどうか、なぜ、出来たのか、出来なかったのかを自分で考えて説明するということを繰り返しました。

  様々な生活の知恵を学び、繰り返してよりよく修得する所から「生活団」の名前が付けられているのですが、わたしはこの点よりは、励み表からそれぞれの努力を見合い、友だちからもアドバイスをもらう時間が、生活団教育の最もユニークな点であると思います。

子どものときはこのことに気づかなかったのですが、毎年、一二月にクリスマスのお話しをするため生活団にうかがうようになってから、その時にも行われている、励み表の発表の時間に立ち会って、そのことが強く意識されました。

「発表の時間に子どもが、口ごもったり、詰まってしまったとき、指導者は子どもの考えていることや迷っていることに、じっと付き添い、時には少しヒントも加えながら、子どもの言葉が熟するのを待ってくれます。子どもも一生懸命考えて、勇気を奮って言葉をつなぎます。その瞬間を見ていて、先述の「おさなごを発見せよ」で羽仁さんが説いた「幼児への信頼」と「最高の知恵をもって接する」ことの大切さを再認識したように思います。

 幼いころに、このようにして、わたしの発する言葉をきちんと受け止めようとしてくれた大人がいたことが、わたし自身の言葉が紡ぎだされていくきっかけになっていると強く確信できます。 

今、日々接する子どもたちから発せられる、とつとつとした一言、一言を待ち、受け止め、それにしっかりと反応していくことができればと思います。