「木川田一郎主教の想い出」 

                             司祭 テモテ宮嶋 眞

 


 またまた私事で恐縮ですが、今回はわたしの大阪教区時代の想い出を書かせていただきます。去る3月18日、元大阪教区主教木川田一郎師父が御許に召されました。東大で野球部、牧師になる前は神主になる学校にも行かれた大変ユニークな主教さんでした。朴訥、清貧、忍耐の方でした。25歳以上年下の私のような若造の意見にも耳を傾けてくださり、大阪教区の青年ワークキャンプの実現に奔走してくださいました。一方で主教さんの意見と反対の意見を何度も申し上げても「うん、うん」と聞かれるのですが、最終的には主教さんのお考えのようにまとめられ、東北生まれの粘り腰と言われるほどの忍耐の方でした。お説教も「始め」、「中ほど」「最後」と、同じことを繰り返し語られ「エンドレステープ」と揶揄されることもありました。これらはすべて信念の人としてのエピソードだと思います。そういう主教さんだからこそ、わたしは安心して自分の意見を想いっきり訴えることができたのです。

 お金に関するエピソードもたくさんあって、神学生時代、貧しい神学生であった私を訪ねて来られると、こっそり折りたたんだ一万円札をポケットに入れてくれる方でもありました。司祭になって、しばらくして、東京の立教学院に出向するわたしに、「立教は給料が良いからその間しっかり貯金をしておくように」という忠告もくださいました。ご自分は貧しくともよい。ほかの人のために、教会のためにお金をしっかり残していくことができるようにと常に配慮されているようでした。

 聖ガブリエル教会が、長年の夢であった教会堂の建設のために百坪の土地を取得した時のことです。当時はバブルの全盛期でした。坪二百万円というと高いように聞こえますが、教会を建てるのならと、近所の地主さんが好意的に相場よりも少し安い値段で売ってくれたのです。ところがそのすぐ後、別の業者が、その土地を倍の値段で売ってくれないかという申し出がありました。

 主教さんに相談したところ「だめだ」と仰るのです。確かに、教会を信用して売ってくれた近所の地主さんに悪いなと思いました。すると主教さんは「坪五百万になるまで待とう」と仰ったのです。

    結果的にはそのあとすぐにバブルがはじけて、その土地にそのまま教会を建てることになったのですが、土地取得だけでお金を使い果たした教会のために、社会福祉法人に半分土地を売却し、教会を建てる資金を捻出されました。本当に教会のためには、なりふり構わず祈り、働かれる方でした。そんな主教さんがわたしの司祭按手の時に下さった言葉が「なんじ死に至るまで忠実なれ。さらば我なんじにいのちの冠を与えん。」というヨハネ黙示録2章10節の言葉でした。