「巡り巡る旧約聖書の物語」 

                             司祭 テモテ宮島 眞

 


 六月の声を聞くと、教会の中にも祭りの香りがしてくるのがさすが京都という気がします。以前勤めていた女学院でも、一学期末の試験は祇園祭までに終わるという伝統があり、宵宮は試験から解き放たれた学生たちが心配な時でもありました。聖光では、櫻井忠弘さんが函谷鉾の重要なお仕事を切り盛りされ、私たちには毎年鉾への拝観券を提供してくださり、鉾の様子をま近に見せていただく特権を与えられて感謝しています。 この函谷鉾の宝物といえば、国の重要文化財の指定を受けておられる前掛け(鉾の前面を覆うタペストリー)「イサクに水を供するリベカ」です。

これがなんと旧約聖書の創世記にあるお話しなのです。故郷を出て、神の導かれるままにカナンの地に定住し、財産を築いたアブラハムは、老齢になって与えられた一人息子イサクの結婚相手を、今住んでいるカナン地方ではなく、故郷の親族から迎えたいと、信頼の厚い一人の僕を派遣します。

僕は親族たちの住んでいる町の泉の前に到着したところで神に祈りをささげました。「この泉に水を汲みに来た娘たちに水を飲ませてくれと声をかけ、一番先に水を飲ませてくれた娘が、神さまが、主人の息子イサクの嫁にと決めてくださった方だと信じます。」と。いわば願をかけたのです。そしてしばらくして現れたこのリベカが、僕の願いどおりに水を飲ませてくれたばかりか、連れていたラクダにも水を飲ませたのです。僕はこの娘こそ神が示されたイサクの嫁に相応しいと確信し、彼女の父ベトエルに交渉し、ただちにリベカを連れ帰ります。

「(イサクは)夕方暗くなるころ、野原を散策していた。目を上げて眺めると、らくだがやって来るのが見えた。リベカも目を上げて眺め、イサクを見た。、、、、、 イサクは、母サラの天幕に彼女を案内した。彼はリベカを迎えて妻とした。イサクは、リベカを愛して、亡くなった母に代わる慰めを得た。」(創世24章62節〜)

ここからは私の勝手な想像ですが、函谷鉾のタペストリーの下の部分には、このリベカとイサクの出会いが描かれていると思います。夕暮に散策するイサク。そして僕が連れてきたリベカをめとって、母に代わる慰めを得たという。彼は旧約のマザコン第一号だったように思えます。そしてリベカが主導権をとり、双子の弟のヤコブが後を継ぎ、イスラエルの祖となっていくのです。

創世記では、水を汲んでもらったのは、僕でしたが、恐らく16世紀の下絵を描いた作者は、そこまで聖書の物語を知らず、(当時はラテン語で書かれた聖書しかありませんから)水を飲んだのもイサク、そして結婚したのもイサクとしたのでは。 それにしてもそれが、日本に伝わって函谷鉾を飾っているとは不思議なお導き。