「9月1日」 

                             司祭 テモテ宮嶋 眞

 


  9月1日は1923年に起った関東大震災の未曽有の災害を憶え、また伊勢湾台風の被災体験なども踏まえ、1960年に防災の日と定められました。自然災害から身を守るため様々な対策を考えていくことは大切ですが、同時にこの時起った「人災」、すなわち朝鮮人虐殺事件を心に留めたいと思います。

 当時、10万人を超える人々が亡くなるという大変な災害、火災が起こり、大混乱の中にあったことは想像できます。その中で「朝鮮人が井戸に毒を入れた、暴動を起こした」などの流言飛語が流れ、それを恐れた人々が、朝鮮人を次々に捕まえて殺したのです。民間人だけでなく、警官、兵隊なども関与したと言われます。また、行政や新聞が流言をそのまま流すという失態を重ね、一般の人々の不安を掻き立ててしまいました。朝鮮人と間違えられて殺された日本人、中国人もあったようです。

 この事件の背景には、日本の朝鮮半島への侵略があります。1910年韓国併合、土地収奪などが行われました。その結果1919年3月1日に「三一独立運動」が行われ、朝鮮全土で600万人が参加したと言われます。この運動は、「朝鮮独立万歳!」と叫びながらデモ行進をしたもので、インドのガンジーらの運動に影響を受けた見事な非暴力抵抗運動でした。この運動の精神である独立宣言文は、東京のYMCAで起草されました。

このような背景から、朝鮮人と日頃交わりのない日本人の中には、朝鮮人に対し「何をするかわからない人」という恐怖感、「国、土地を奪われても仕方がない劣った人」という差別感などがつくられていった様です。

この混乱の時にも、普段から朝鮮人と付き合いのあった日本人は、彼らをかばい、かくまって助けた少数のケースがあります。横浜鶴見署の署長が命がけで、朝鮮人を保護したケースは有名です。

最近、関東大震災の朝鮮人虐殺は、従軍慰安婦の事件などと同じように無かったことだという主張が、当時の新聞記事をもとにされていますが、その根拠になる記事は、流言をそのまま載せたようで、被害者、加害者共に不明といったケースまであり、信頼できません。

震災の時に朝鮮人を殺したか、守ったかの違い、また現代において、この史実を認めるか認めないかの違いは普段からこれらの人々と人間的な付き合いをしてきたかどうかの違いが大きいと思います。

イエス様が当時の最下層の虐げられた人々と共に生き、彼らを大切な一人格として遇したのは、そのような一人として生まれ、育ち、共に生活されたなかで培われた経験があるからでしょう。そのような体験がない者は、「愛」という意志の力でその壁を乗り越える努力を積み重ねる必要があると思います。