聖マリア教会の歩み



1900年(明治33911日宣教師J.J.チャプマン師が富山市総曲輪の某旅館にて五井学(明治33721日生)に幼児洗礼を授けた時から富山聖マリア教会の歩みが始まった。

当時金沢定住の大橋麟太郎師による月1回の礼拝が石原宅で始まる。

191191日集会所を大工町大田宅に移し中森政次郎師着任、定住牧師を得て本格的な伝道が始まる。

翌年1月第1回婦人会を開催。

1912年(大正元年)95日、若月麻須美師着任、集会所を総曲輪島宅へ移転。

同年10月に千石町毛呂宅へ移転。1913626日知事正式認可を受ける。この頃、千石町に660坪の土地が与えられる。


1914年千石町安村宅へ移転、日曜学校を開校。7月講義所から教会設立へ。

19154P.A.スミス師着任、伝道勢力盛んになり、率先して洗礼を志願する者多数あり。

1916年ペドロス師管理、同年8月佐々木二郎師勤務、1917年より猿橋二郎師、戸所芳一師(1919年)、宇田梅太郎師(191922年)、木村義治師(192223年)、関若之助師(1923年)、法用繁造師(192428<昭和3>)、吉本秀正師(1928年)、島本定楠師(1929年)、西川一夫師・H.R.ショウ師、直川久之助師と続く。1931年(昭和6年)教会新設、富山聖公会と呼ばれる。


教会空襲により焼失

194582日未明、182機のB-29による111分間にわたる爆撃で旧市内の99.5%(25,000)を焼失(写真は北陸銀行提供)









          空襲により炎上する富山市街地


直川牧師の管理が続く1949年星井町に教会を建設。1950年めぐみ保育園を開園する。

終始キャソックで通された田中愛二師(195558年)、英語教室やピアノ教室など積極的な展開で日曜学校や教勢の隆盛に尽くされた長谷川道夫師(195867年)、長谷川・伊藤師留学中に奉仕された西田宣子師(196567)は青年会の発足、信徒教育等に貢献された。


伊藤信義師(1967〜81年)は保育園の法人化ならびに新園舎の建築、同時に園名を富山聖マリア保育園に改称。また園舎改築中に仮園舎として使用され、老朽化した牧師館の新築などを手がけられる。


中西庄之助師(198196年)は児童福祉のみならず、来るべき高齢化社会に備え1990年特別養護老人ホーム常楽園を開設した。

谷市三師(1997〜)を迎え、1998年多くの信徒から望まれていた納骨堂を常楽園の間近に完成、魂の安らぎの場所として、散策コースとしても親しまれる。


 2000年には宣教100周年、保育園創立50周年、常楽園設立10周年の節目を祝う各種記念事業を策定。その間常楽園の増築、保育園の整備を行う。同2000年念願の聖堂用土地取得。聖堂建築を考える集いが発足、当初2009年竣工を目標に立てたが、新聖堂建築計画の早期実現に拍車が掛かる。去る2005年の信徒の集いで、多くの兄弟姉妹と共に竣工の喜びを分かち合い、聖マリア教会の新しい歴史の証人となって戴いた。