月報「コイノニア」
2002年3月号 No.223


イスラームをめぐって(六)

司祭ヨハネ

 人々のために設けられた最初の聖殿はメッカにあり、それは、祝福され、いっさいの生き物の導きとして設けられたものである。その中には、アブラハムが足をとどめたところをはじめ明白なみしるしがある。そこに入れば誰でも絶対安全が保証される。この聖殿への巡礼は、そこに旅する余裕のあるかぎり、人々にとって神への義務である。たとえ背信の態度をとる者があっても、もともと神はあらゆるものがなくても足りたもうお方である。
    (第3章「イムラーン家の章」)

 「五行」のうち、断食と巡礼について見ましょう。
コーランが啓示されたのはラマダーン月であったとされており、神聖な月として1ヶ月間断食を守ります。ラマダーンはイスラーム暦(ヒジュラ暦)第九月の呼び名です。純粋な太陰暦であって、1ヶ月は29〜30日、1年の長さが太陽暦にくらべて約11日短いため、ラマダーン月は毎年少しずつ移動して四季のどこにでも来ます。約35年で一巡してもとの季節に戻ります。1日は日没から始まり、月は新月が見えた時に始まります。神聖なラマダーン月の終始を正確に決定する必要から、イスラーム天文学が発達したと言われます。
ラマダーン月の毎日、断食は日の出から日没までの間厳格に行われ、一粒の食物、一滴の水も禁じられます。唾液の嚥下もいけないという人もいるほどです。しかし日没とともに断食は解除され、日中の厳しい禁欲と対照的に夜は平常以上のご馳走で、この月には食料消費量が大幅に増えるそうです。食事の後、人々は互いに訪問し合って夜遅くまで談笑し、日の出前にもう一度食事して日中の断食に備えます。「断食の夜、汝らが妻と交わることは許してやろう・・・食うもよし、飲むもよし、やがて黎明の光さしそめて、白糸と黒糸の区別がはっきりつくようになる時まで」(第2章雄牛の章)。慈悲深いアッラーは人間に不可能なことを決してお命じにならない。飢えを体験することによって、食物を与えられる神に感謝し、神と向き合うのが断食の目的とされます。
病人や旅行者、さらに妊娠中や幼児をもつ女性も断食は免除されます。しかしその分だけ別の日に実行しなければなりません。ただし老人は貧しい者に食物を施すことでつぐなえばよいとされます。
ラマダーン月が終わると、断食月明けの祭りが行われます。イスラームの二大祭の一つです。もう一つの大祭は犠牲祭で、ヒジュラ暦第12月の10日、メッカ巡礼の最終日に行われます。
 メッカ巡礼には、巡礼月(ズー・アル=ヒッジャ)と呼ばれる第12月に行われる大巡礼(ハッジ)と、任意の時に行う小巡礼(ウムラ)とがあり、「五行」の一つに数えられている巡礼はハッジの方です。定められた儀礼を行って信仰を強め、来世の救済を求め、また互いの連帯を確認するために、世界中からムスリムが大挙してやってきます。人口約60万のメッカの町がこの季節には200万を超える人々で溢れると言われます。彼らにとってそれは生涯の一大事です。しかし他の四つの行と違って、すべてのムスリムに課せられた義務ではなく、冒頭の引用句にあるように、メッカに旅する余裕(体力と資力)のある者にだけ義務とされます。
メッカに入る前に、巡礼者は縫い目のない二枚の白布からなる巡礼着(イフラーム)を身につけます。それによって彼らは身分の上下など世俗的属性を象徴するもの一切を脱ぎ捨て、一個の裸の人間として神と直接向き合う聖なる状態に入ります。
イフラームをつけてメッカに入った巡礼者たちは聖モスクに行き、カーバ神殿を囲んで一斉に礼拝を行う傍ら、タワーフの行を行います(写真)。タワーフとはカーバの周囲を反時計回りに7回まわる儀礼です。このタワーフと、カーバの東にある二つの丘の間を7回往来するサアイという儀礼を、第12月の8日までに少なくとも一回ずつ済ませなければなりません。


祝 ご復活!

3月31日、復活日大礼拝が行われ、聖歌隊とハンドベルクワイヤのご奉仕のもと、荘厳な礼拝を捧げました。また、ウイーン弦楽六重奏団のフュールリンガー教授がすばらしいヴィオラ演奏を聴かせてくださいました。
今号では聖週に行われた様々な礼拝を中心にご紹介します。

24日(日)10時45分
復活前主日(しゅろの主日)

 聖週の初日、主のエルサレム入城を記念して行われる礼拝です。父なる神の御心に従って十字架につけられるために、「柔和な王」の姿でろばに乗ってエルサレムへ向かわれた主を、大勢の群衆が自分の服を道に敷き、なつめやしの枝を持って歓迎して叫びました。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に」。聖歌七四番を歌いながら、全員がしゅろの枝を手に聖堂内を巡る行列をもって礼拝が始まりました。

25日(月)〜27日(水)
7時 聖餐式 19時 晩祷

28日(木)聖木曜日 7時
  聖木曜日朝の礼拝

28日(木)聖木曜日 12時
聖油聖別式(主教座聖堂にて)

 年に一度、聖木曜日に主教座聖堂で行われる聖油聖別式で主教が聖別したオリーブ油を、各教会に小分けして保存します。病者訪問の際、癒しを祈る塗油の式で、この聖油を用いて病人の額に十字を印します。また、この礼拝の中で、教区の全司祭が司祭按手の時に行った誓約の更新を行います。

28日(木)聖木曜日 19時
洗足式・聖餐制定記念聖餐式・聖木曜日の黙想

 いわゆる最後の晩餐の夜、主は弟子たちの足を洗って互いに愛し合うべきことを教えられました。それにならって司祭が会衆の足を洗うのが洗足の式です。それに引き続き、主は「わたしを記念してこのように行いなさい」と言われて聖餐を定められました。通常聖餐式は朝行われますが、この聖餐制定記念聖餐式は聖木曜日の夜に行われます。礼拝の後、祭壇の飾りがすべて取りはずされ(ストリッピング)、聖金曜日を迎えます。

29日(金)聖金曜日 7時
  聖金曜日朝の礼拝

受苦日の嘆願が行われます。

29日(金)聖金曜日 12時
京都伝道区合同受苦日礼拝(主教座聖堂にて)

 京都伝道区の長年の習慣により、信伝協が主催して合同受苦日礼拝が主教座聖堂で行われます。伝道区の諸教会が合同で礼拝することにも意義がありますが、その一方で、聖マリア教会にとっては、肝心の受苦日礼拝が聖週の一連の礼拝の流れから外れてしまうという問題も感じます。

29日(金)聖金曜日 19時
  聖金曜日夕の礼拝
(十字架の主に対する崇敬と賛美)

主の受難についての黙想と、十字架の主に対する崇敬と賛美の礼拝が行われ、聖木曜日夜の聖餐式で聖別された保存聖体を拝領します。

30日(土)聖土曜日 7時
  聖土曜日朝の礼拝・嘆願・聖餐前式

30日(土)聖土曜日 23時
  イースター・ヴィジル

古来の復活徹夜祭(ヴィジル)です。文字通りの徹夜とは行かないまでも、夜半過ぎに復活日最初の聖餐式となります。非常に豊かな内容を持つ礼拝です。
@復活前夕の黙想。主は陰府に下り、アダムをはじめすべての死者を引き上げられます。
A復活のろうそくの祝福。真っ暗な聖堂に復活のろうそくが入堂し、各自の持つろうそくに点火していきます。「キリストの光」「神に感謝」の唱和が繰り返される荘厳な礼拝です。
B洗礼の約束の更新。C復活日聖餐式。今年のヴィジルには昨年にくらべてかなり多くの出席者がありました。

31日(日)復活日 4時30分 (教会発)
  暁天礼拝(大文字山にて)

 「朝まだ暗いうちに」墓へと急いだマリアたちに思いを馳せながら、ジュニアチャーチを中心に大文字山に登って行われる恒例の復活日暁天礼拝です。ヴィジルに引き続き参加した人もあり、19名が参加しました。ちょうど満開になった桜を観賞しながら、朝の礼拝を献げました。


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