月報「コイノニア」
2002年6月号 No.226


イスラームをめぐって(九)

司祭ヨハネ

 昼間の始めと終わりに、そして宵の口に、かならず礼拝を守れ。善行はもろもろの悪を追い払う。これは反省する者へのお諭しである。
                     (第11章「フードの章」)
定めの礼拝を、そして真中の礼拝を遵守せよ。神のみ前にうやうやしくたて。
                     (第2章「雄牛の章」)

メッカへの集中はイスラームの最も重要な特質です。今回はこの集中性をめぐって、キリスト教と比較しながら考えてみます。
集中の焦点は唯一神アッラーのシンボル、カーバ神殿です。それは聖モスクの中庭の中央に立つ、石を積み上げた直方体で、サイズは時代によって異なりますが、現在は縦12、横10、高さ16メートルです(3月号写真)。キスワと呼ばれる布で覆われ、毎年張り替えられます。色は金糸で刺繍された黒が多く、時代によって白や緑が用いられたこともあります。第一回で見たようにもともとは多神教の神殿で、多くの偶像が置かれていましたが、ムハンマドがそれらを撤去させて内部は空洞となり、目に見えない唯一の神アッラーの居所とされました。全世界のムスリムはカーバ神殿の方角に向かって礼拝し、体と心、その全存在を集中させます。
メッカ巡礼はこの集中を非日常的な形で表現するものですが、その基礎には日常的実践として毎日五回の定時礼拝があります。たとえ一人でする礼拝であっても、定時にメッカの方角に向かって行うことにより、今同時に礼拝している無数のムスリムの集中と一つになるのです。
地球規模で想像してみましょう。定時礼拝は太陽の位置に従ってなされますから、同じ経度に位置するムスリムたちが一斉にひれ伏す行為が、地球の自転に伴って東から西へと巨大な波となって伝わって行きます。各自がメッカの方角を向いているので、この波は、メッカの東側ではメッカの一点に向かって収束して行きます。西側では逆にメッカから発散する形になりますが、地球の裏側に達すると再び収束に転じます。全地球を覆うこの波動運動が、毎日五波にわたって繰り返される様を想像するとき、イスラームの礼拝の壮大な仕組みと生命力に圧倒される思いです。
もっとも、このような仕組みが最初からあったわけではありません。ムハンマドはユダヤ教徒に学んで定時礼拝とキブラ(礼拝の方角)を定めたと言われます。間もなくキブラがエルサレムからメッカへと変えられました(12月号)。定時礼拝の回数についても、冒頭コーランの二つの句にあるように、初めは三回、後に正午が加えられて四回になるといった変化が見られます。現在の一日五回の礼拝は後にイスラーム法で規定されたものです。
キリスト教でも、少なくとも初代教会では、主日礼拝以外に全信徒が個人や家庭で毎日三回東に向かって祈ったと言われます。仮に定時が厳密で全世界で守られたとすれば、上と似た波動運動が起こりますが、一点に収束する集中性はなく、経度に沿って東から西へ進む単調な波になるだけです。しかもこの波動がいつの時代にもあったわけでなく、全地球規模で実現したこともありません。定時も方角も乱れた現代ではなおさらです。むしろ、東面から対面への移行のように礼拝はますますローカルな性格を強めているようです。
分散性・多様性・局地性・非定時性がキリスト教礼拝の特徴であるとすれば、イスラームの礼拝は集中性・単一性・グローバル性、定時性においてその対極にあります。教会制度のようなものをほとんど持たないイスラームが、民族を超え、地球規模で広がる宗教として拡大しつつあるのは、このイスラームの特質によるのではないでしょうか。

写真は金曜日朝のイマーム広場(イラン、イスファハン)


5月26日 主日聖餐式
      勧話報告(要旨)

神学生 アタナシオ 浦川慎二

 時折、「あなたはなぜ聖職に志願しているのですか?」と尋ねられます。かつて聖職志願について悩んでいた時、洗礼を司式していただいた恩師から「自分の力に頼るより先に、あなたを用いて始められている主の業の完成を求めましょう」という励ましのお手紙をいただきました。このお言葉を始め、さまざまな方々からの励ましに支えられて、二年ほど前に、聖職への志願を決意しました。
 また、「東京出身のあなたが北海道教区に志願したのはなぜですか?」という質問も受けます。第一には所属教区に限らず日本聖公会全体を志願の対象として希望していた私にとって、植松誠主教の牧する北海道教区への想いが強まっていったこと、第二には聖職が不足している所こそ、主の働きに存分に用いていただけると思ったからです。
 教会と無縁の生活であった私は、九年ほど前の大学四年生の時に、就職活動に行き詰まったことをきっかけとして、初めて教会を訪ねました。その教会は日本基督教団に属する教会で、そこで洗礼を受け、二年半ほど教会生活を送ってきました。しかし、その教会に残り続ける限り、聖餐式に対する価値観を共有することは困難であると判断し、東京の府中にあります聖マルコ教会に転入しました。聖公会への転入後、五年ほど信仰生活を送った後に、聖マルコ教会からの推薦をいただいて北海道教区の聖職候補生に認可され、今日に至っています。
 神学校に入学して二年目を迎えています。学びを重ねていくうちに、自分よりもあまりにも大きく深い世界に圧倒されます。しかし、私にとって信仰という賜物をいただいていることが、自我のピンチから始まり、ピンチによって新たにされているものであるとすれば、小さい自分のピンチこそ主とキリストの体である教会に出会うチャンスであると言えます。これからも起こるであろうピンチを糧として、巡礼の旅をご一緒に歩んでいきたいと願います。


寄稿

フラッと立ち寄ったシカゴの教会のおはなし
〜St. James Cathedral のペンテコステ〜

百ストップ以上はあった
巨大なパイプオルガン

モーセ 続木 創

 5月17日からシカゴに出張しました。19日の日曜日はペンテコステ。やっぱ教会に行かなくっちゃと探してみたら、ホテルのすぐ近くにセントジェームスという聖公会の教会がありました。電話してみたら11時からペンテコステのミサとのこと。
 行ってまずその大きさにビックリ。悠に五百人は入れる立派な礼拝堂。正面右側に巨大なパイプオルガン、左側には立派な聖歌隊席。ムムム、これは期待できるゾ。
 礼拝が始まって二度ビックリ。約30人の聖歌隊もオルガニストも完全にプロの世界。おまけにプロセッションの先頭に可愛い女の子三人のダンスチームが踊りながら入って来るではありませんか。礼拝堂内部は天井が20メートルはありそうなドーム型で、オルガンも歌声もどこぞのコンサートホールよりずっと美しく響き、もう本当に感動の世界。これはアメリカの大都会のお金持ち教会でしかあり得ない礼拝だなと羨ましかったりひがんだり・・・。
 日課朗読もとてもユニークで、聖歌隊が10人ほど出てきて世界中のあらゆる言葉で一斉にバラバラに日課を読み始めて、何が起こったのかと思ったらマイクを通して英語での日課朗読が始まるという趣向。これはペンテコステの使徒言行録二章四節「すると、一同は聖霊に満たされ、『霊』が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」のパロディ。
 洗礼式もありました。洗礼式後の聖歌の間に3人の子供達が洗礼盤の水をクリスタルの器に少しずつ取って、その水で濡らした葉っぱを会衆の方に向かって振りながら、"Remember Your Baptism ! "(あなたの洗礼を思い出しなさい)と叫んで歩きまわったのも、良いことをするなーと感動しました。
 礼拝後のティーパーティでは何人もの信徒さんが話しかけてくれ、とても楽しく過ごしました。旅行先でフラッと知らない教会に行くのはホントに楽しいですね。逆にマリアもフラッと来て下さる旅行者の人達に良き教会でありたいものだと思いました。

プロセッションの先頭は
ダンスチーム

聖歌隊もメッチャ上手かった。

礼拝後希望者と共に
祈りを捧げる司祭様


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