8月号その3


ごあいさつ

聖職候補生 ダニエル 大塚 勝

 京都聖マリア教会には、青年時代に約十年間お世話になりました。幼稚園もここを敗戦の年の3月に卒園しました。洗礼・堅信もここで高校生の時に受けました。まさに京都聖マリア教会で私は育てられました。山田襄司祭(のち主教)が司牧されていた時代です。山田司祭が教務院長(現在の管区総主事)に就任されて東京へ行かれた後、1968年に私は桃山基督教会に転籍しました。当時、妻が桃山幼稚園に勤めていましたし、何よりも桃山の方が自宅から距離的・時間的にはるかに近かったからです。それ以来、聖マリア教会からは足が遠くなってしまいました。そして、このたび聖職候補生として主教様から主日は京都聖マリア教会に勤務するように命じられて、34年ぶりにふるさとに戻って来たわけです。若かったあの頃には戻ることは出来ませんが、今の私に出来ることで、この教会の皆さんと共に精一杯神様のご用のために働きたいと思っています。
 60歳で学校を退職した後、ウイリアムス神学館の特別聴講生として三年間の全課程を学び修了し、この四月からは、平日はウイリアムス神学館主事として勤務しています。ご存じの方も多いと思いますが、私が聖職を志したのは、大学四回生の時、世の中が騒然としていた「60年安保闘争」の頃でした。その時は神学校には入らずに平安女学院に就職し、そのまま38年間を教師として過ごしました。この間、聖職志願のことは頭の片隅に微かに残っていましたが、平常は忘れていました。それが、ある時、突然、武藤主教様の一言で呼び覚まされました。学校の廊下をご一緒に歩いていた時、主教様は「先生、牧師になりませんか」と仰有いました。正直に云って驚きましたし、その時は即座に辞退しました。何と云っても長い教師生活です。簡単に教師生活から「さよなら」を出来ませんでした。しかし、呼び覚まされた気持ちは抑えがたく、私の年齢から考えてもこの機会を逸せばもう機会はありません。いつまでも悔いが残るだろうとも思いました。当時、この話に妻は反対でしたが、その後の紆余曲折を経て、結局は一年半後には先述のように神学校に入学しました。そして修了し、現在に至っているというわけです。
 6月に下田屋司祭様や教会委員の方々の推薦を得て提出した執事志願書を、主教様が受理してくださり、9月末から10月初めにかけて執事試験を受けることになりました。これが大変です。今、身が細る思いをしています。勉強は進まないのに時間は早く進みます。焦るばかりです。すべて神様にお任せするほかないと思っています。
 どうぞ皆様のご加祷をお願い申し上げます。


投稿
「カンボジアの光と影」

ヨシュア 立石昭三

 2000年12月に41年に及ぶ公務員生活に終止符を打ち、後はNGOの仕事をしようと山岡景一郎さんが代表をされている京都アジア友好協会(KAFA)でスリランカの寄生虫対策をお手伝いしていましたが、結核予防会結核研究所の森亨所長からお話があり、この年でまた、国際協力事業団(JICA)で働くことになり、五月からカンボジアに来ております。
 ここには六年前からJICA結核対策班が入っていまして、子供にはツベルクリン・テストを、大人には胸部レントゲン写真をとり、結核の疑いがあれば検痰をして確定診断をしようという計画です。私はその頂点のレントゲン写真を読む仕事を与えられまして、カンボジア人医師一名と卒後研修医三名、その他の技師、事務、運転手など計、約二五名の人と共に、タイ、ラオス、ベトナムの国境沿いの村々まで五〜六台の車のコンヴォイで回るという調査でした。
 雨期に当たりますので、川の近くから広い国土は一面の池となります。しばしば道も水没しますので私たちも仕方なくパスポートもビザもなしに越境するという貴重な経験もしました。ここでは夏の間、太陽が日本の方へ行ってしまいますので思いのほか快適で、特に雨の後はとても涼しく日本の皆さんには申し訳がないような気がしました。
 私の子供のころにはこの辺りは仏領インドシナ(仏印)と呼ばれていた一帯でしたが、今でも仏印はなお存在しているかのようで、旧仏印の国の人々はビザなしで自由に往来していました。この国の道路や標識、官庁名はフランス語で書かれ、医師も医学教育をフランス語で受けている方ばかりでした。フランスの医学は私どもの習ったドイツ医学やアメリカ医学とちょっと違っていまして、この点、自然科学者でもある下田屋先生からとても面白いご教示を頂きました。
 この国にはポルポトの悲劇が世界中に広まっているせいか、 GO(政府関係援助団体)、NGO(非政府援助団体)が世界中からが集中しています。アメリカ以外のほとんどの先進国のGOがここに来ていまして、日本のJICAの人たちも250人以上いるでしょう。NGOも400以上の団体が世界中から援助に来ているそうで、私どものJICAチームもカナダのNGOの資金援助も受けたり、日本のキリスト教海外医療協力会(JOCS)と一緒に働いたりもしました。特にJOCSの宮本さんには調査にも同行していただいたり、その地方拠点に泊めていただいたり、GOとNGOは機構も目的も違いますが、その特徴を生かしあって協力すべきだ、と言う私の持論が実現している感がありました。
調査の約半分を終え、まだ都市部の調査は済んでいませんが、カンボジアの結核の有病率は確かに想像を絶するほど多いのです。それぞれの村で約5−10%に結核性の陰影があり排菌者も約一−四%もあります。これはエイズの影響もあるでしょう。大都市であるプノンペンの性産業従事者のHIVについても政府の調査がありますが、その30%が陽性だと言う報告がありました。HIV(+)と判ると営業を取り消されますのでその数は減りつつあると言われていますが、陽性者に対してもホーム・ケアなどNGOの活躍が目立ちました。そしてわがJICAもHIV(+)の人に対して胸部レントゲンを無料で撮ることで協力していますのでその写真を約千例分、見る機会がありました。その結果は約一五%に結核性の陰影があり、いったん発症するとその予後はとても早いのです。ある孤児院をある日、JOCSの宮本姉と家内と訪れた時に判ったことは、その孤児たちの全部が両親をエイズで失った子供たちでした。両親がエイズでその子がHIV(+)なら発症して1週間でなくなるという話も、その孤児院を世話しておられる宮本姉から聞きました。
以上がカンボジアの影の部分ですが光の部分もご紹介します。それはこの国の人々の明るさです。人々は微笑を絶やしません。「ご飯を食べたかい?」と挨拶しあい、食事に誘ってくれます。これは何によるのでしょうか?HIV(+)と分かった人も結核で苦痛にあえぐ人もどうしてこんなに明るいのかと思いました。農村部の貧しさ、栄養もその結果としての体格も寿命も私どもに比べてもとても悪い。食べ物がすぐ手の届くところにあり,飢えることがない安心感でしょうか?テレビや日本からの駅前放置自転車こそかなり普及していますが、飲料水も濁った川水が多いし、およそ利便的な文化的なものは一切ない。宗教に関しても同じ小乗仏教の国と比べても、この国の人はうんと屈託がない。これまで戦乱の中にあってあまりにひどい時代を過ごしたので、その比較として今が幸せなのでしょうか?所有欲が少ないためでしょうか?デジカメで撮った写真を見せますととても喜びますが、それを放置していても盗まれるという心配をしたことはありません。農村に行きますと子供が実に多い。一六人の子を産んだという母親も見ました。そして戦火のせいでしょうか、老人が少ない。老人がいても低栄養のためでしょうか、その消耗度が高い。そして老人の権威はとても高く、大切にされているように思いました。世代の交代が順調に言っている所為で子供が多く明るいのかな、と思ったこともあります。とにかく人の幸福とは物質的な豊かさとはまったく違う、という私が中高校生時代に考えていた結論を確かめたような今回の出張でした。この点は下田屋先生や皆さんのご意見も伺って今後も考え続けるでしょう。


各部からのおしらせ

=日曜学校=
9月1日二学期スタート、お誕生会。
8日秋の遠足パート1(勧修寺農園)。15日敬老の日カード作り。
22日芸術の秋!絵画鑑賞(美術館)。29日ビデオ大会。

=ジュニアチャーチ=
9月は1日、15日10時より朝の礼拝(礼拝堂)。礼拝後聖書研究会。

=幼稚園=
8月28日(水)教師会。9月2日二学期開始。
11日(水)子育て支援講演会。13日(金)母の会バザー。
20日(金)入園説明会。25日(水)保育見学会。
30日(月)いも掘り。10月1日(火)願書受付開始。5日(土)運動会

=婦人会=
9月度例会は9月8日(日)礼拝後、恒例の敬老会と合流して行います。シニアの方々をお招きして楽しい時間を過ごしたいと思います。

=ボーイスカウト24団=
9月15日(日)〜16日(月・祝)50周年記念キャンプ(南山城少年自然の家<グリーンパル南山城>)。
●創立50周年記念に向かって準備が進められています。それに伴い、各団とも団員募集中。各隊該当年齢にお知り合いのある方はご紹介ください。見学も随時受け付けています。お問い合わせは団委員まで。


ニュースとお知らせ

=並河正晃さん逝去=
7月16日、並河健さんの御父君正晃さんが逝去されました。主による魂の平安と遺族の慰めのためにお祈りください。

=山口瑳智子さん退院=
7月18日退院されました。御加祷ありがとうございました。

=豊里弥生さん退院=
7月19日京都病院に入院、手術の後8月3日(土)に退院されました。御加祷ありがとうございました。

=巻野薫子ちゃん入退院=
7月30日(火)に手術、翌日無事退院しました。

=木元民さん帰宅=
バプテスト老健施設を8月9日(金)に退所、自宅へ帰られました。

=大槻憲史君記念式=
7月28日(日)大槻憲史君逝去八周年記念式を行いました。

=立石昭三さん帰国=
カンボジアでの医療活動を終えて、8月10日無事帰国されました。

=逝去者記念聖餐式(レクイエム)=
8月21日(水)11時から8月の逝去者記念聖餐式を行い、次の方々を記念しました(敬称略)。
1日―ヤコブ広沢哲男(1981)、
6日―クララ山田絢子(1989)、
9日―*棚橋恒(2001)、*荒木義次(2002)、
10日―篠田統(1978)、*西谷凉子(1994)、
12日―林要三(1940)、速水和彦(1949)、ヘレン伊豫田絹子(1995)、
14日―ガマリエル渡辺常造(1999)、
16日―*上田延広、
21日―ヨハネ小川富(1954)、
22日―ルデア南裕美(1984)、古川清子(1987)、
25日―プリスカ浦地つね子(2001)、
28日―ステパノ中根冬雄(2000)、
30日―*牧村ます(1945)

=大文字鑑賞パーティー=
恒例のパーティーが8月16日(金)夕の礼拝後開かれました。幼稚園屋上から大文字を眺め、会館ホールでご馳走の山を囲んで歓談しました。

=高知聖パウロ教会から納骨堂見学=
7月18日(木)10時半、岡野主教様のご紹介とご案内により、瀬山会治司祭はじめ9名の方々が納骨堂の見学に来られました。ご接待ありがとうございました。

=GFS、夕の礼拝に参加=
GFS全国研修会が京都で開かれ、そのプログラムの一部として7月26日(金)当教会を訪問。夕食会のあと夕の礼拝に参加されました。

=節電器レンタル契約=
節電器と、七五アンペアのブレーカーが配電盤内部に設置されました。電気料金8―15%節減と電球等の寿命延伸がうたわれています。しばらく様子を見ます。

=田中泰之さん庭木手入れご奉仕=
7月29日(日)園庭と教会周りの樹木の手入れをしてくださいました。猛暑の中のご奉仕、ありがとうございました。

=コーナン建設、補修工事=
8月2日(金)聖堂建築二年目の補修工事として、玄関ドアおよび納骨堂ドアの調整などが行われました。また、会議室の臭気源は床のカーペット裏ゴムと接着剤の疑いが濃厚で、サンプルを持ち帰って調査中です。

=会館屋上防水工事=
男子トイレ雨漏りの原因となっていた二階屋上の防水工事が8日(木)―9日(金)行われました。トイレ天井裏の鉄骨防錆処理と天井の一部張り替えも完了しました。

=堅信50年記念=
例年、教区成立記念日(9月19日)に受堅信50年を迎えた方々に、長い信仰生活を祝福し、これからの信仰を励ます意味で、教区紋章入りスプーンが教区主教から贈られます。今年の該当者は邨田志津子さんお一人ですが、他に心当たりのある方はご連絡ください。

=主教座聖堂聖卓奉献献金=
主教座聖堂(聖アグネス教会)に対面式聖卓を設置することになり、教区諸教会が教区成立記念日に近い9月22日(日)の信施金をおささげすることになりました。

=主教選挙に関する主教書簡=
来年1月13日(月・祝日)に京都教区次期主教選挙を行うこと、またそのために各教会の祈りを求める旨の主教書簡が出されました。八月四日の主日礼拝において書簡が朗読され、お祈りをささげました。引き続き毎月第一日曜日にお祈りします。


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