月報「コイノニア」
2003年3月号 No.235


罪なくて殺され

司祭ヨハネ

さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。
「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから。」
(マタイによる福音書2・16―18)

ヘロデは幼な子イエスを殺すために、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を一人残らず殺させました。主の天使のお告げに従ってイエスがエジプトに逃れたためヘロデの企みは失敗しましたが、子どもたちはその時たまたまベツレヘム付近にいたばかりに巻き添えを食って殺されました。
巻き添えの死は、人類史に無数に多く見られます。無差別テロはまさにそれを狙いとしたものですし、ブッシュがサダムを殺すためにミサイルを打ち込むたびに今日もそれは繰り返されています。ヘロデはイエスを特定できないため最初から子どもたちを皆殺しにする意図を持って臨んだが、ブッシュの場合は結果として不幸にも市民が巻き添えになるのだ、と言い訳しても、結果を予測し得てなおあえて攻撃を加える以上、本質的に違いはありません。そのように、わたしたちは人間の悪意に基づく巻き添えの死が数限りなくあることを知っています。
問題は、他ならぬ主イエスの御降誕にからんで、あのようにむごい出来事がなぜ起こらねばならなかったのかということです。マタイが「福音書」にこの出来事を記したことには意味があるはずです。
マタイはこれを旧約の預言の成就としてとらえ、エレミヤ書31・15を引用しています。ラケルはヨセフとベニヤミンの母です。その子孫が北王国滅亡に際しアッシリアに殺されあるいは囚われて行くのを、ラケルは墓の下で嘆き悲しんでいる、とエレミヤは言います。ラケルの墓はベツレヘムにあったとされていました。そして今また、ラケルの墓のあたりで殺された子どもたちのために激しく嘆き悲しむ声が響きわたる、とマタイは言います。
主イエスはこの世を支配する悪の力を滅ぼし、神の支配を貫徹するために世に来られた神の子であるというのが聖書の信仰です。その主が降誕された今、これを幼いうちに抹殺してしまおうと、悪の力が激しく襲いかかるのは当然です。エジプトへの逃避も、子どもたちの死も、悪の力とのしのぎを削る攻防戦の一こまとして見たとき、降誕物語の一エピソード以上の意味を示し始めるように思います。悪に対する勝利はやがて罪なきお方の死によって達成されることになります。幼な子イエスの身代わりとして殺された子どもたちはほふられた神の小羊の死を予表し、また、イエスのために血を流した最初の殉教者でした。それゆえに教会は、聖なる幼子殉教者として記念してきました。
マタイが引用したエレミヤ書には、それに続けて次の言葉が記されています。「主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。息子たちは敵の国から帰って来る。あなたの未来には希望がある、と主は言われる」(31・16―17)。マタイはここまでを視野に入れて、その前半を引用したのではないでしょうか。

図版はジオット『幼な子の虐殺』


新しい歌を主に向って歌え

司祭 ヨハネ

先般、教区宣教局青年交流紙 Face to Face 編集部の求めにより「新しい歌を主に向って歌え―みんなでつくる聖餐式」について書きました。教会の皆様には折にふれお話しし、また週報などにも断片的に書きましたが、まとめた形で述べる場がありませんでした。この機会に、右記の原稿を教会員向けに修正加筆してここに掲載させていただきます。

■新聖堂の可能性
 新しい聖堂が聖別されて三年。聖堂をめぐる様々なアイデアや期待が生かされた反面、イメージ通りでない部分も多々あることでしょう。建物は順応を強いる一方、思いがけない可能性も秘めています。この可能性をもっと探求すべき時に来ています。

■音響の良さを活かして
 新聖堂の音響は好評です。高い天井と適度な残響時間によって、オルガン・管楽器・弦楽器などの持続音、とりわけ人声が美しく響きます。
 この音響の活用が先行したのは自然なことでした。礼拝音楽委員会が発足し、聖歌隊やハンドベルクワイアが活動を始めて礼拝に奉仕し、また、教会コンサートを通じて一般の方々にも公開されてきました。パイプ・オルガンがないのが残念ですが。
 マリア・ミサ曲による文語唱詠聖餐式もこの教会ならではの取り組みです。古今聖歌集第五部に収められているこの公会の宝を活用しようと、主教様から文語祈祷書使用の許可をいただいて実現しました。一昨年の降誕日深夜聖餐式から始まり、昨年から第五日曜日ごとに行っています。

■みんなでつくる聖餐式
伝統的な唱詠聖餐式の回復と並行して、昨年後半から「新しい歌を主に向って歌え ―みんなでつくる聖餐式―」が始まりました。目的は二つあります。一つは各自が思い描いている礼拝の様々なイメージを具現し、併せて新聖堂のもつ可能性を開拓すること。第二はみんなが創造的に関わることによって聖餐式の理解を深め、礼拝への主体的参加を促すことです。
 具体的には、様々な楽器あるいは無楽器で、新しい聖歌やチャントも用い、聖卓や会衆席の配置など空間的な工夫もし、入退堂、代祷、平和の挨拶、子供の参加、祈祷書のオプションなどを研究して、みんなが心から礼拝できるよう、知恵を出し合ってわたしたちの聖餐式をつくっていきます。ただし、祈祷書の原則を崩さないこと、および神学的検討を経て取り入れることを条件とします。青年会、婦人会、中年会?など各層各グループがそれぞれ中心担当グループとなってアイデアを出し合い、それに礼拝担当教会委員、礼拝音楽委員、司祭を加えた「礼拝実行委員会」を立てて、企画・実施の核になります。頻度は当面マリア・ミサと同程度としています。

■創造活動としての礼拝
 聖餐式はよく「聖なるドラマ」にたとえられます。祈祷書はいわばその台本、音楽で言えばオーケストラのスコアのようなものです。同じ台本・スコアを用いても演出家や指揮者によって異なるスタイルのドラマや音楽が創り出されるように、同じ祈祷書を用いても様々な礼拝が可能です。また、上演や演奏と同様、一つ一つの礼拝は祈祷書という台本・スコアに基づいて行われる一回限りの表現活動=創造活動です。「新しい歌を主に向って歌え ―みんなでつくる聖餐式―」というキャッチフレーズはこのことを言い表そうとしています。新しい聖歌を歌おうとか、何か目新しいことをやろうとかいうことではありません。どんな礼拝であれ、礼拝は本質的に創造活動なのです。

■演劇との類比
 礼拝参加者はすべて、この聖なるドラマにおいてそれぞれの役を担う俳優であり演奏家です。俳優とコロス(合唱隊)からなるギリシア古典劇のように、劇と音楽が一体になった演劇を考えています。俳優は演出家の意図に従いつつもそれぞれの役を主体的・創造的に演じます。演出家は俳優や上演空間の特性を研究し、それを最大限に生かすよう舞台装置や照明や音響効果を工夫します。舞台監督は演出家を助けてその意図が的確に表現されるよう指導します。「礼拝実行委員会」メンバーは自ら俳優として立ちながら舞台監督や裏方の役割を担い、司式司祭は重要な役を演じる俳優、兼演出家・指揮者です。演出家は勝手気ままに何でもできるわけではありません。演劇には「演出は戯曲に服従する」という基本原則があります。「祈祷書の原則を崩さない」という条件がこれに相当します。
楕円運動としての礼拝
 ここまでは礼拝の人間的側面に焦点を絞ってきました。「み民がまことと賛美の礼拝を献げられるのはただ主の恵みによります」。礼拝は、神の創造のみ業と人間の創造活動という二つの焦点をもつ楕円運動であり、その全体が主の恵みに包まれています。聖なるドラマの本当の主役は主イエスであり、すべてが神に栄光を帰するためにのみ行われます。礼拝と演劇との違いがここに現れます。

■経験と創意工夫
 一回目は青年会が担当し、好評でした。代祷箱や青年による代祷など直ちに日常の礼拝に取り入れられたものもあり、物理的制約により実現されなかったアイデアもあります。制約の中で意図を表現するにはそれなりの工夫と経験が必要です。手探りしながら経験を積み重ね、より洗練された形でみんなの意図を表現できるように成長して行きたいものです。


岩城聖職候補生、彦根へ巣立つ!

 聖マリア教会出身で、このたびウイリアムス神学館を卒業された岩城征文聖職候補生に彦根聖愛教会勤務の公示が出、無事引っ越しも完了いたしました。新天地でもマリアで培った精神を存分に発揮し、活躍をしていただくよう期待します。

シモン 岩城征文

 卒業式には、多くのご参列を賜りました事と、お祝いを頂きました事を改めて御礼申し上げます。
小さい時は、両親に連れられて聖マリア教会に行っていたけれど、日曜学校は桃山教会の日曜学校に参会しており、聖マリア教会に行かない時期が長くあったにもかかわらず、高校生の時に聖マリア教会に「帰った」時には、暖かく受け入れてくださった事を、昨日の事のように憶えています。高校・大学の時には本当に自分の好きな事をさせて頂きました。感謝です。
今、神学校を卒業し、彦根聖愛教会へ引越しも完了いたしました。私の教役者としての第一歩が始まります。この歩みの中はきっと、すべてが順調に行く事は決してないと思います。くじけそうになる事、頭打ちになり暗闇の中を歩んでいるように感じる事もあろうかと思います。そんな時には、自分の力だけでどうにかしようとするのではなく、主により頼みながら歩んでいこうと思います。さて、私は彦根の地でどんな出来事、どんな人に出会うのでしょう。緊張と不安と共に、期待が胸を占めます。決して思い上がり、傲慢不遜にならず、謙虚に素直に彦根の地で人と出来事に出会い、受胎告知において聖母が天使に「お言葉とおりになりますように」と言った姿に倣い、この彦根の地で歩んでいきたいと思います。


聖マリア幼稚園コーナー

事務 マーガレット 浦地 愛

 3月21日(春分の日)は幼稚園の卒園式。10名の子ども達が元気に巣立って行きました。この聖マリア幼稚園で94回目の卒園式。私にとって、8回目の卒園式でした。(マリア幼稚園で働き始めた年の園児が今ではもう中学生!自分の年齢は棚に上げて改めてビックリしてしまいます!)
 卒園式の三日前に開かれた『緑組お別れ会』の場でも少し喋らせて頂いたことですが、私は幼稚園で、毎日子ども達と顔を合わせ、園児一人一人と接しているわけではありません。事務室でパソコンとにらめっこしていたり、書類(数字?)と格闘していたり・・・そんな時間が殆どです。そんな中、お休み・遅刻・お迎えの連絡の為に幼稚園に走って行ったり、子どもがお手伝いをするために事務室に来てくれたり、子ども達に事務室を襲撃されたり・・・と短い時間ですが、子ども達と接する事が出来ます。子ども達が幼稚園にいる間、ずっと一緒にいない分、チョットした事がとても新鮮に感じられます。例えば、「今まで幼稚園の鉄扉(幼稚園と礼拝堂前室との間の扉)を一人で開けられなかった子どもが、いとも簡単にあの扉を開けている!」「この間まで麻衣先生の後ろにくっついてたのに、一人で遊んではるっ!」「ちゃんと先生の伝言伝えてくれるようになった!」など。「いつの間にこんなお兄さんにならはったん?」「気がついたらお姉さんやん!」と思う事が多々あります。そして、アレヨアレヨと言っている間に、一年・二年・三年が過ぎ子ども達は卒園していきます。子ども達の成長の早さにビックリしながら、でも子ども達のパワーに負けることなく(?)、子ども達と関われる時間を大切にしたいと思っています。
 私事ですが、甥っ子一九がマリア幼稚園でお世話になり始めて一年が経ちました。「一九クンが○×△してはります!」という言葉にも、「コレッ!九チャンッ!」という(何かやらかした時の)先生の声にも慣れました。そんな元気過ぎるぐらい元気(?)な彼は、幼稚園にいる時は私の事を[愛先生]、幼稚園の外では[愛ちゃん]と使い分けしています。(注:彼の中に[愛ちゃん]=[叔母ちゃん]という方程式はまだありません。あしからず・・・。)彼もこの一年の間に、たくさんの言葉や一つ一つの経験を吸収して、驚くほど成長している事を改めて実感しています。
 一九を含め、赤・緑組さんになって【お兄さん・お姉さん】になる子ども達、ドキドキワクワクしながら新しく入園して来る子ども達の新たな一年間の成長が、新学期を迎える今、とても楽しみです。そして、そんな子ども達がすぐ側にいる環境で、毎日笑いながら働ける事を改めて感謝しています・・・。


各部からのおしらせ

=日曜学校=
4月6日(日)まで春休み。以降毎日曜日9時30分より朝の礼拝(礼拝堂)。
4月13日(日)入学式・進級式。20日(日)イースター(分級なし)。
27日(日)大ゲーム大会。<4月11日(金)午後7時半より教師会。>

=ジュニアチャーチ=
4月65日(日)まで春休み。4月20日イースターは恒例の大文字山上早天礼拝を行います。午前4時半に教会を出発。4月29日(土・祝)春の遠足。

=幼稚園=
4月9日(水)始園式。10日(木)入園式。
11日(金)プレプレ説明会。

=ボーイスカウト24団=
各隊とも春のキャンプが無事成功しました。ご協力いただきました皆さんありがとうございました。
<新隊員募集中>


ニュースとお知らせ

=ルシア中山富美子さん訃報=
彦根市在住の中山富美子さんが2月20日に逝去されました。主にある魂の平安のためにお祈りください。

=大斎節中の説教は大塚執事=
大斎節中の六回の主日礼拝は大塚執事に説教をしていただきます。

=三月はマリアミサなし=
大斎節中につき、三月の第五日曜日はマリアミサ曲による文語唱詠聖餐式を行いません。

=逝去者記念聖餐式(レクイエム)=3月19日(水)11時から、次の方々を記念して逝去者記念聖餐式を行いました(敬称略)。
5日―プリスキラ藤田久子(1987)、
6日―プリスキラ速水えい(1963)、
7日―ドルカス星野冨美(2001)、
9日―ルツ三井みさ子(2002)、
10日―グレゴリー尾崎良嗣(1985)、
14日―エリサベツ田中善子(1992)、ペテロ伊豫田勉(1996)、
15日―津田敏子(1956)、
16日―ミカエル源高根(1998)、
17日―ルデア福原律子(1962)、
18日―林正(1952)、徳田竜三郎(1961)、
19日―マリア中根緋佐子(1996)、
25日―古館三徳(2002)、
26日―ミリアム河本昌子、
27日―エリザベツ松田ミチヨ(1985)、
31日―スコラティスカ岩城道子(1995)、*尾崎良胤(1919)

=武藤主教退任礼拝=
八年間にわたり京都教区主教としてお働きくださった武藤主教様が三月末日で定年退職されます。聖マリア教会では3月30日の主日礼拝で主教様のためにお祈りしました。また、同日5時30分から主教座聖堂で最後の主日夕の礼拝が行われ、金沢、和歌山等遠方からの方々を含め180名が出席しました。説教者浦地司祭によれば、1995年7月京都教区主教着座以来7年9ヶ月の在任期間中、400週の主日のほとんどを教区内の各教会の巡錫に費やされ、11名の執事按手、8名の司祭按手、389名の堅信式を行われました。その他、主教会や各教区の主教按手、数々の会議のためしばしば出張される一方、ウィリアムス神学館館長・理事長として教役者育成にあたる等非常に精力的な働きをなさいました。
夕の礼拝に続き退任礼拝に移り、その歩みを噛みしめながら、主教杖・指輪・マイター・コープを静かに厳かに祭壇にお返しになり、その任を終えられました。式後参加者全員と握手をなさって会を閉じました。なお、武藤主教様は立教大学チャプレン長としてお働きになるため4月7日(月)に東京へ転居される予定です。

牧杖を祭壇へお返しになる
武藤主教


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