月報「コイノニア」
2003年6月号 No.238


聖霊を注ぎ

司祭ヨハネ

神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。
(使徒言行録2・32―33)

使徒言行録は聖霊降臨の出来事を次のように描いています。「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した」。この物音に集まって来た大勢の人々に向かって、ペトロが、今起きている出来事の意味を説明します。それは預言者ヨエルを通して言われた「終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ」という神の約束の実現であり、ナザレの人イエスが復活させられ神の右に上げられて、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださったのだ(冒頭聖句)ということでした。
 「激しい風が吹いてくるような音」も「炎のような舌」も耳や目で捉えられる現象であり、ルカらしい絵画的表現と言えます。しかし同時にルカは、この現象の真相を「聖霊に満たされ」と言い表し、ペトロの言葉として、ヨエルの「霊を注ぐ」という言葉を受けつつ「聖霊を注いでくださいました」と表現します。
ヨエルの「注ぐ」(ヘブライ語シャーファハ)は旧約で「いけにえの血を祭壇に注ぐ」「憤りを注ぐ」「魂を注ぎ出す」のように用いられる語です。「主の御前に出て水のようにあなたの心を注ぎ出せ」(哀歌2・19)が示すように、液体を注ぐことから転じて内面の事柄が外に向かう動きを表現する言葉になったものです。
一方、ペトロの説教で言われる「注ぐ」(ギリシア語エクケオー)は、ヨエルを引用した箇所でシャーファハの訳語として用いられていますが、新約では「聖霊を注ぐ」「神の愛がわたしたちの心に注がれ」などと並んで、「ぶどう酒が流れ出」「血を流す」「両替人の金をまき散らす」といった用法が見られます。
「注ぐ」「注ぎ出す」「流す」「流れ出す」「まき散らす」いずれも初期キリスト教神学において重要な意味を担った「流出」の概念と重なります。「流出」は神の創造の御業の表現として用いられました。「創造」という語は人間の製造行為、すなわち何かから何かを造るという、この世界の事物の間の関係を連想させます。これを補正して神の創造を表現するために用いられた語が「流出」であり、あたかも太陽から光が放射されるように、神御自身の本質が流出することによって万物が存在するに至る。聖霊降臨が新しい命・新しい民の創造であるとすれば、神から太陽光線のように流出した聖霊がわたしたちに注がれ、その結果としてわたしたちが「聖霊に満たされ」ることになります。ただし、この「流出」は元来新プラトン主義のプロティノスらが発展させた概念であり、その汎神論的傾向に対する警戒から、カパドキア三教父以来、聖霊の「発出」という表現が用いられています。
五旬節の聖霊降臨を描いた絵画には聖霊を炎で表したものと光線で表したものとがあります。たとえばエル・グレコは炎を描き、上に掲げたジオットでは光線になっています。ジオットは現象としての炎よりむしろその奥にある真相として聖霊の注ぎを描いたと言えるでしょう。


新しい歌を主に向かって歌え
――みんなでつくる聖餐式――Part2

 6月1日(日)の聖餐式は、新しい歌を主に向かって歌え――みんなでつくる聖餐式――パート2ということで、前回同様、青年会を中心に「みんなでつくる」をどのように実現するかを文字通りみんなで考え、会議を重ね、形にすることができました。これから、パート3、4と年代も変化を加えながら試行錯誤していきたいと思っています。まずは青年会の報告から。


 今年の青年会の一大行事ともいえる先日の聖餐式、皆様の御理解、御協力のもと無事に聖餐に与れたことに感謝します。
 今回も何度かミーティングを重ね、青年個々が思い描いている事、考えている事を出し合い、様々な観点から十分に議論しました。その中で、前回時間等の都合によりできなかった事を優先的に考え、今回の会衆席の配置、平和のあいさつの仕方を変更することになりました。当初から聖餐式を自分達で作りかえられるのなら、聖堂内の雰囲気、会衆の印象を可能限り変えたいと思っていました。単純な発想ですが、そうでなければ自分達にとってあまり意味なく終わってしまうと思っていたからです。ただ、聖餐式というものを解っているようで解ってない者には容易な事ではありません。どれだけ変更して構わないか解らない状態でした。素直に解らない部分は先生に尋ね準備を進めていきました。すると意外にも自分達の出した案がほとんど実行可能だと知り、安心して取り組む事ができました。それだったらといわんばかりに、通常、部分部分で意味ある事を歌っている聖歌まで変えてしまいました。さすがに曲数を増やすわけにもいかなく、厳選!?した五曲を用いました。これはひとりひとりの愛唱歌。当然、すんなり五曲で収まるはずがなく多数決をとりました。それに併せてオルガン以外の音源が欲しかったので、高瀬さんにフルートの演奏をお願いしたところ、快く引き受けて下さり、加えてオートハープまで用意して頂きました。
 そして、これらをまとめた青年会の案を礼拝実行委員会へ。実はこの案をどのように受け止められるのか不安でいっぱいでした。もしかするとこの時が一番緊張したのかもしれません。しかし原案通り承認されこの時一度の委員会開催に終わり、実行への運びとなりました。
 いよいよ当日。見慣れない聖卓の位置や会衆席の配置。いつもと全く違う雰囲気の中での聖餐式。まるで他の教会にいるような感じにすらなりましたが、反面とても居心地も良く、一年に一度くらいはこのようなスタイルで行うのもいいのではないかと思いました。今年は宣教百年の年でもあります。勝手な考えではありますが、その歴史の中で、建物の構造上から見てこのような配置での礼拝は初めてではないかと推測します。そうであるとすれば、青年会としても非常に嬉しく思います。
 また機会があれば行います。その時はどうぞよろしくお願い致します。
(青年会会長 ヨセフ 前田潤)


聖霊降臨日
――諸国語聖書朗読――

 6月8日は聖霊降臨日。復活日・降誕日と並ぶ三大祝日の一つ。この日の聖餐式では、聖歌隊のご奉仕があり、会衆席も前主日に好評(?)だった聖卓を囲み、平和の挨拶にたっぷりと時間をかける形での聖餐式で、毎主日とは違う雰囲気で礼拝を捧げました。
 また、使徒言行録の朗読に合わせて、インドネシア語・タイ語・日本語・ロシア語・ギリシア語・ラテン語・ドイツ語・イタリア語・スペイン語・フランス語・英語・ヘブライ語の十二カ国語の言語で一斉に当日の使徒書(Tコリント)が朗読されました(ただしヘブライ語だけは詩編133)。「一同は聖霊に満たされ、『霊』が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。(使徒言行録2―4)」を実際にやってみようという試みです。発音が間違っていても、例え何を喋っていても、会衆席の方々には判らないのに、必死に練習して来た朗読者もチラホラ…。礼拝後の報告では、[各国からのお客様]として紹介されました。
  (マーガレット 浦地 愛)


投稿
神学館生活をはじめて

ウィリアムス神学館
   ダビデ 林 和広

 四月からウィリアムス神学館に入学し、早くも約二ヶ月が経ち前期も残すところあとわずかになりました。約六年間のサラリーマン生活を経て神学館に入学して、入学前から色々と大変な事が多いと覚悟はしていたものの、環境の変化に対応するのに多少時間がかかり、色々と考えながらの月日が流れています。
聖マリア教会での教会実習は朝七時からの早朝聖餐式に始まり、主要聖餐式までしっかり実習ができ、下田屋司祭のご指導のもと色々とご指摘を受けており感謝しております。今、決して悪いことではないと思いますが、どの教会でも高齢化が進む中、ここ聖マリア教会では幅広い年齢層の方が色々な礼拝を提案したりイベントを考えたりと、みんなで交わりを持って教会生活を送っている点は素晴らしいことだと思いました。
 少し話が戻りますが、入学して日々神学館で生活する中で、自分を見つめ直すことが多くなり今までの自分の考え、神に対する姿勢についても反省する時間が増えました。企業で働いていた当時、当然世の中は実力・業績主義でいつも自分が主体となり、成績が良いときは自分の力に過信し、悪いときは市場が悪いからと環境の責任にしていました。教会に行けば自分中心の祈りで満足し、平日は仕事をしっかりして主日礼拝はちゃんと行って守っている、何か悪い点あるかな?なんて思っていました。社員の人達ともコミュニケーションを持ち、楽しい日々でした。しかし、神学館で生活する中で自分の今まで持っていた考えが砕かれ、自分には何も残ってないし、持っていないと空しい気持ちになった時がありました。全く大したことないのに仕事や考え方に根拠の無い自信と傲慢な気持ちがあり、人を見る目も何か間違った基準が自分の中にあり、また働ける事も当たり前だと思いながら今まで生きてきたのですが、いざ望んで入学し、入学とともに全てが無くなった時、今までの思いが愚かだったことを知りました。しかし同時に全てのことは神が与えて下さり、私自身、神に養って頂いている事を改めて感じます。まだ入学して二ヶ月しか経っていないのですが神学館では勉強以外でも多くの事を考えさせられています。先日、高校三年の時に受けた堅信式に故神戸教区長門司祭に頂いた本を久しぶりに見たのですが、最後のページに子供ながらに自分で書いた三つの決め事があり改めて見ました。信じる事、従い守る事、捨てる事。神を信じ御心に従い自分を捨てる。常に神に感謝し、足下を見つめて浮き足にならず謙虚に生き他人に奉仕する者になる為に努めたいです。聖マリア教会では多く信徒の方々から厳しく教育して頂く事を望んでおります。宜しくお願い致します。


聖マリア幼稚園コーナー

「マリア幼稚園に就職して(2)」

赤組教諭 団 聡子

「離れてみると良さがわかる。」
 他園で四年間この職に就き、?年間のブランクを経て昨年九月より聖マリア幼稚園のお手伝い先生として返り咲いています。
 先生方は皆元気で明るく、チームワークも抜群!保育の中での息の合った先生方の声の掛け合いで子ども達がどんどん話に引き込まれていく様子はさすが!と圧巻されます。そんな先生方と過ごす子ども達も、緑組のお兄さんお姉さんは花・赤組を思いやり、花・赤組はそんな緑組に憧れ、近づこうとする縦の関係があり、また、お祈りの中で話される身近な事柄に興味を持てる素敵な子ども達だと思います。そんな先生方、子ども達のいるマリア幼稚園の一員になれた事、とても幸せに感じています。
 今年四月からは赤組のお手伝いをしながら、コミュニケーションがうまく取れず、集団の中にうまく入れない子どもを重点的にサポートしています。集団の中とは違う一対一の保育、初めての経験で戸惑う事もありますが、ちょっとした心の触れ合いを感じられた時の喜びはひとしおです。
 これからも子ども達、先生方と一緒に多くの事を経験し、成長していきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。


各部からのおしらせ

=日曜学校=
毎日曜日9時30分より朝の礼拝(礼拝堂)。
6月22日(日)春の遠足(三室戸寺)。
7月13日(日)午後1時半よりキャンプ説明会。
日曜学校キャンプは7月19日(土)20日(日・祝)例年通りの復活学園北小松キャンプ場に変更になりました。
7月10日(木)教師会。

=ジュニアチャーチ=
7月20日(日)は第3日曜で朝の礼拝の日ですが、日曜学校キャンプのため、第4日曜に振り替えます。
6日(日)27日(日)10時より朝の礼拝(礼拝堂)。
夏の芦生キャンプは8月8日(金)〜10日(日)。車運転可能なスタッフ募集中。吉村迄。

=幼稚園=
7月11日(金)お誕生会。
17日(木)お楽しみ会。
18日(金)終業式。
30日(水)夏期保育(御所)。31日(木)夏期保育(宝ヶ池)。

=婦人会=
6月の例会は6月24日(火)午前10時半より、5月例会と合同で「八ッ橋庵とししゅうやかた」で京野菜のまんじゅう作り体験とししゅう美術館見学を予定。

=ボーイスカウト24団=
各隊夏のキャンプ準備中。
<ビーバー隊>8月2日(土)3日(日)加茂町青少年山の家。
<カブ隊>7月25日(金)〜27日(日)長命寺・真静院。
<ボーイ隊>8月14日(木)〜17日(日)芦生キャンプ場。


ニュースとお知らせ

=臨時教区会、高地敬司祭を選出=
5月31日(土)臨時教区会において主教選挙が行なわれ、九回の投票の結果聖職票・信徒代議員票ともに得票数三分の二を越えたステパノ高地敬司祭(四八歳)が当選しました。当選者について各教区主教の過半数が30日以内に同意し、さらに当選者が承諾した場合に被選主教となります。主教按手式・着座式の日程はその後に決まります。

=洗礼志願式および洗礼式=
6月1日(日)夜、米田亜季子さんの洗礼志願式を行ない、教会問答の勉強に入りました。紹介者は佐々木亨さん、辻法子さん、南明美さん。洗礼式は6月22日(日)主要聖餐式の中で行なわれます。

=逝去者記念聖餐式(レクイエム)=
6月18日(水)に逝去者記念聖餐式が行われ、次の方々を記念しました。
1日―谷照芳(1945)、
5日―松本勇治郎(1994)、
8日―ルデア速水仲子(1992)、ヒルダ植松糸子(2000)、
13日―松田タミ(1965)、サムエル林尚志(1998)、
15日―永田有(1949)、
19日―続木斉(1934)、
21日―マリア山口いち(1938)、
27日―林ハル(1928)、トマス田中完一(1966)、
28日―浅田文子(1948)。

=マリア・ミサ曲による文語唱詠聖餐式=
第五日曜日にあたる6月29日(日)はマリア・ミサ曲による文語唱詠聖餐式です。

=司祭主日出張予告=
7月13日(日)英語聖餐式終了後(8時半)、彦根聖愛教会主日聖餐式応援に出かけます。当教会10時45分からの主要礼拝は、保存聖体による執事分餐となります。

=みんなでつくる聖餐式=
第2回は別項記事のように青年会担当で行なわれ、好評でした。第三回は7月27日(日)礼拝音楽委員会担当で行なわれる予定です。

=京都聖マリア教会宣教百年記念事業について=
教会委員会では、1903年(明治36年)を京都聖マリア教会宣教開始の年とし、百年目に当る今年から数年間にわたり、宣教百年記念事業に取り組むことを決めました。その出発点として、まず本年11月29日(土)に宣教百年記念礼拝および記念祝会を行なうこと、および当日配布する記念品として『京都聖マリア教会宣教百年小史』を発行することとし、編集委員会(立石昭三委員長)が発足しました。執筆等ご協力をお願いします。なおこれに続く宣教百年記念事業の内容については現在継続審議中です。教会員の皆様からの提言をお待ちしています。

=日比合作オペラ『高山右近』=
7月6日(日)17時開演(ノートルダム女子大ユニソン会館)右近生誕450周年記念。
前売2500園(学生以下2000円)司祭まで。


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