3月号その2


寄稿
「聖マリア教会宣教100年について」

ヨシュア 立石昭三

「京都聖マリア教会史」は前編が1990年12月1日に、同じく後編が1993年9月1日に発行された。前編の「はじめ」に小谷司祭は「明治35‐6年頃に開始された京都聖マリア教会の宣教――」と書いておられる。明治35年は1902年であるから、今年、2005年は宣教103年目になる。カスパート長老が東京から京都に来られて伝道を始められたのは明治36年、1903年だったから、それからすると宣教百年は2003年と言うことになる。
1995年1月17日の阪神大震災で、明治44年、1911年に落成した鉄筋も入っていない煉瓦作りで老朽化した建物の上に被害を受けた旧聖堂は1996年、浦地洪一司祭の時、取り壊され、3年余の募金活動、再建築工事を経て1999年クリスマスに新礼拝堂が完成し、2000年1月10日、武藤六冶主教により竣工聖別された。2000年4月から下田屋司祭が来られ、新礼拝堂で2003年11月29日に私どもは宣教百年の記念礼拝を、そして都ホテルでの祝典をあげた。 その頃マリア教会史発行から15年も経ち「マリア教会百年史」を作ろうと言うことになったが、以前に出したマリア教会史を凌駕する新事実の発掘もままならぬうちに時が過ぎ、この間、古いことを知る方々を虚しく見送ることになったのはひとえに、その責にあった私の所為である。

2004年秋、マリア教会へロジャース・ユニ子という上品な一人の日系アメリカ人が来られ、礼拝後の挨拶で、彼女の義理の伯父、そのまた義理の弟さん、スペンサー・J・アレン氏という方が奥様ローダさんとともにオハイオ州で孤児院の世話や教会活動をなさっているが、その亡き母、ドロシー・スペンサー嬢がかつて、京都マリア教会で働いておられたと述べられた。そしてその手紙が保存されていて2年前にアレン氏がそれをまとめられたが、その文中に出てくる方々の子孫がマリアに今もおられるなら興味があるのではなかろうか、とのお話があった。私はたまたま、アッシャーをしていたので、その意を菅原先生とともに伺ったが、後日、ドロシー嬢の手紙を纏めた文集の一部が下田屋先生に、また私にはその全文が送られてきた。時はマリア教会百年史を編集しようと言う機運にあったので,欠けたるリンクの一端にもなればと一読してみた。 

それによるとドロシー嬢はカンサス大を中途で日本に来て、1年を過ごし、1915年(?)一時帰国して同大を卒業し、さらに1915年から1917年まで教役者訓練学校で学び、1917年、汽船で再来日、その若干後、幼稚園生徒だった木村忠一氏によると、京都聖マリア教会の敷地内の東北にあった家に、ドロシー嬢はアンブラー嬢と一緒に住んでいた様子である。当時、そのほかディスブロー嬢という方も居て、マリア教会、アグネス教会のクワイヤー指導、オルガン演奏、英語、その他刺繍なども教えていた。その後へレン・スカイルス嬢も活動された。ドロシーはその母に毎週、親友のメイベル・ワトキンスにも時々、便りをしているが、それは初めて日本文化に接した今日の外人学生と同じく、日本美術の繊細なこと、アメリカと違う習慣などに単純に面白がったり、女性らしい感性で興味を示したりしている。日本人の優しい性格、お祭りの風景、鴬張りの廊下などに感じた新鮮な驚きも伝わって来る。多分、絵葉書きであろう四条お旅所前を進む電車の写真がある。木造ではあるが今と殆ど同じ建物の南座や円山公園のしだれ桜の姿も変らない。その手紙は200通弱にも及ぶがその中には写真もあり、当時の幼稚園生徒の服装も和洋様々で、マリアらしい大学生の多い教会の様子が当時からのマリアの伝統であったことを感じさせる。 彼女はまた、バイブルクラスも学生相手に開いていたが、その中には制服を来た兵士もいた。かなり裕福な知的な家庭を信者にもって伝道していたことも述べられている。手紙の中ではタッカー師、ロイド師などの名前が出てくるが、その夫々のご子息、タッカー司祭、ロイド司祭を知る方にはその面影が偲べるかも知れない。日本人信徒の名前が姓のみで、名が記されてないので個人名をはっきり知ることは出来ないが、入手した手紙の中で、19才のナカデ・アキオ(中出昭夫?)氏が若くして膝の傷からの感染(破傷風?)で亡くなったことはマリアに於ける初めての葬儀で、彼は聖歌を歌いつつ、信仰のうちに昇天したこと、その告別式、記念会の様子は感動をもって記され、それは「日の出新聞」(京都新聞の前身)にも好意をもって報道された、と書いている。中出家の墓は若王子のマリア教会墓地、新島譲のお墓側の2番目にある。ご遺族がしっかりしておられるのか、墓地の借地料はマリア側では支払っていない、と墓地の記録をなさっている服部卓爾氏は言われる。京都商業の英国人教師、ソウター姉妹のお墓の賃貸料はマリア側で支払っているが遺族は残っていなくて、撤去もままならぬ事は以前にコイノニアに書いた。
東京在の91歳の古い信者、木村忠一兄はドロシー嬢のことも覚えておられた。アレン氏にもドロシー嬢を知る方があったこと、中出氏の墓の所在がわかったことを知らせてとても喜ばれた。
その頃の信者で今尚、そのご子孫がマリア教会の信徒である家庭の少ないことはこの頃の大部分が学生信徒で、信徒としてはその代で終わることが多かった為であろうか?一般的に日本の人口流動が激しいためであろうか?信者がその子供に信仰を継がせることの大切さことを痛感した。

1917年、
カンサス大における
ドロシー・スペンサー嬢


聖マリア幼稚園コーナー

2004年度を終えて

 2004年度も3月21日の卒園式と22日の修了式をもって無事終える事が出来ました。なかなか暖かくならない中にも、卒園した緑組の子供たちが植えてくれたいろいろな球根から芽が出て、今、プランターには「春」の花がいっぱい咲き始めています。そして、昨年とは打って変わって、まだかな、まだかなと首を長くして待っていた桜のつぼみもようやくほころび始めました。卒園式に緑組が歌った「桜のつぼみもふくらんで、もうすぐ学校うれしいな・・・」から、とても長い時間が過ぎたようにさえ思われます。卒業した子供たちは入学式のことを考えながら胸をドキドキさせ、ランドセルを背負ったり、眺めたり、また背負ったしながら学校の門を潜るのを心待ちにしている事でしょう。いえ、幼稚園のアルバムを何度も何度も開いて、楽しかった思い出を語ってくれているのかもしれません。神様に子供たちの成長を心より感謝致します。しかし、三学期終わりの三月には、巷で流行りかけていたインフルエンザが当園でも猛威を震い、3月1日予定の『春の集い』前には36人もの子供たちが欠席をし、三日の緊急休園とともに春の集いや、卒園にまつわる一連の行事を変更せざるを得なくなりました。本当に年度最後の行事が出来るのかな?卒園式まで辿り着けるのかな?と心配が募りましたが、休園措置を取った事で、気にしながら欠席していた子供たちもゆっくり休め、そのお陰で子供たちは、行事への意気込みを十二分に感じさせてくれました。特に緑組は「卒業まであとちょっとや!」との思いを漲らせて、懸命にお友達との関わりを求めているその姿に、私達は心を揺さぶられ正しく「生」の力を感じた次第です。そんな緑組の子供たち27人は、錦林10人・北白川1人・修学院1人・岩倉北1人・岩倉南1人・西陣中央1人・新町1人・室町1人・新洞1人・陵ケ岡1人・第四錦林3人・文教1人・聖母1人・ノートルダム3人の14校に分かれて入学致します。初めての小さな社会を巣立ち、少し広い社会でそれぞれがうまく順応してくれる事を祈ってやみません。私達は、子供たちが「成長する」という意味を、ただただ身体が大きくなったのみならず、自分で考え、自分で判断し、自分で行動できるようになる事が真の成長だと思っていますし、そのような大人になれるよう一人一人の上に神様のお導きを祈り願います。それにまた、自分たちの気のつかないところでお世話して下さっていた洋子おばちゃんと田中さんありがとうございます。四季折々の花、実のなる幸せに心を和ませてもらえるそんな自然に触れ、みんなの愛を心いっぱいに受けて大きくなった緑組の子供たちです。ひとつの園で縦と横の関係を繋いできた子供たち、そして大きくなっても感謝する事を忘れないで下さい。いつまでも神様とのお話を忘れないで下さい。お友達との遊び、先生と歩んだ毎日、愛する事を・・・。
 最後に、二人の教員の退職をご報告します。二年目の北川美貴が日取りは未定ですが結婚します。下田屋一朗先生は理事長として,チャプレン先生として子供たちや先生たちを見守り幼稚園を支えて下さいました。お二人の先生の上に神様のお守りがありますようにと祈り、すべての方々に感謝を込めてこの一年間のご報告と致します。ありがとうございました。
(園長 ルデア 菅原さと子)

劇ごっこ「森は生きている」より
12月の精

=聖マリア幼稚園HP=

http://nskk.org/kyoto/stmaria/kdg/


各部からのおしらせ

=婦人会=
京都教区婦人大会:5月5日(木・祝)〜6日(金)三重県伊賀市にて。テーマ『わたしが行って、いやしてあげよう』4月4日(月)申込〆切。詳細は別紙ご案内をご覧下さい。

=日曜学校=
3月20日(日)卒業式・お祝い会。26日(土)10時よりイースターエッグ作り。
4月3日(日)春休み。10日(日)入学・進級式。

=ジュニアチャーチ=
3月20日(日)4月3日(日)10時より朝の礼拝(礼拝堂)。3月27日(日)大文字山昇天礼拝、午前4時教会を出発。飛び入り歓迎。是非ご一緒ください。

=青年会=
4月10日(日)・24日(日)ギター講習会(予定)。

=幼稚園=
3月21日(祝・月)卒園式。22日(火)修了式(花・赤組)。4月1日(金)教師会。
9日(土)一年生おめでとう会。11日(月)始園式。12日(火)入園式。

=ハンドベル=
朝の部毎週火曜日10時半〜、夜の部毎週木曜日19時半〜。

=ボーイスカウト24団=
<ビーバー隊>3月20日(日)〜21日(月)キャンプ(花脊山の家)。
<カブ隊>3月27日(日)最終下見・荷物点検、4月1日(金)〜3日(日)カブホリディ(南山城少年自然の家)。
<ボーイ隊>3月13日(日)GB訓練、19日(土)合同班集会、25日(金)〜27日(日)キャンプ(芦生キャンプ場)。
<ベンチャー隊>3月20日(日)しっぽ取in御所。
<ローバー隊>2月20日(日)〜3月9日(土)アジア太平洋提携プロジェクト派遣(バングラディッシュ)上野参加。


ニュースとお知らせ

=お誕生おめでとうございます=
2月28日朝、小泉満生・尚子夫妻に女児が誕生しました(1784g、41.2p)。咲葉(さよ)と命名され、3月20日(日)に誕生感謝の祈りを行いました。

=信伝協大斎集会=
3月16日(水)京都聖ステパノ教会で開かれた大斎集会で、当教会の瀬佳子さんが「音楽・愛と希望―音楽療法士として日々の仕事の中で出会った人々とのふれ合い・・・特にホスピス(緩和病棟)活動の中での祈り」と題して勧話を担当され、好評でした。(写真はオートハープを弾きながら聖歌を歌う高瀬さん)

=白神芳さん逝去=
3月16日(水)22時7分、アンナ白神芳さんが相馬病院で逝去されました。教会で18日(木)通夜の祈り、19日(金)葬送式が行われました。

=チャリスベール・バース奉献=
吉田栄子さんが白のチャリスベールとバースを一組制作しお献げくださいました。真っ白に輝く布地に金色の十字架の刺繍が映える美しい仕上がりで大好評です。二七日イースター大礼拝の中で奉献・聖別式が行われ、早速使い始めました。

=4月以降の第二主日礼拝=
藤原健久司祭は京都聖三一教会(奥晋一郎執事定住)を管理され、毎月第二日曜日に同教会へ出張されます。この日、当教会の早朝聖餐式と英語聖餐式は同司祭が担当されますが、主要聖餐式については、4月が杉山司祭、5月以降は毎月岡野主教が執行してくださいます。

=4月のレクイエム=
4月20日(水)一一時から次の方々を記念して逝去者記念聖餐式を行います。他に記念したい方がおられましたらご連絡ください。教籍は問いません。
1日―マリア山岡知代(1961)、
5日―立石静(1937)、
10日―中堀瑞枝(1945)、
16日―ベニヤミン津田雅之介(2001)、
21日―司祭W・J・カスバート(1929)、松田重雍(1978)、
24日―司祭アブラハム法用繁造(1975)、
29日―続木路南(1971)、ベタニヤのマリア宮西良子(1998)

=下田屋司祭最後の晩祷=
31日(木)19時、夕の礼拝には大勢の教会員が参加して、主が与えてくださった出会いと交わりをともどもに感謝し、賛美をささげました。


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