月報「コイノニア」
2005年7月号 No.263


始まりはいつも愛

司祭 ミカエル 藤原健久

民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスに降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。
                (ルカ3:21-22)

 これは、イエス様が洗礼を受けておられる場面を描いたイコンです。テゼ共同体で購入しました。多分、テゼのブラザーが描いたものと思われます。イコンは、一枚の絵でありながら、その中に様々な意味が込められています。専門的に学べば詳しく解読できるのでしょうが、私にはよく分かりません。しかし、ある程度の時間、このイコンの前で黙想してきた者として、いくつかのことが言えようかと思います。真ん中にイエス様、左手には洗礼者ヨハネがいます。イエス様が浸かっているのはヨルダン川、イエス様の足下には、小さく男女の姿があります。これはきっとアダムとエバでしょう。イエス様が「新しいアダム」として、人類に罪の赦しを与える方だと言うことを表現しているのでしょう。イエス様の右手の指先をよく見ると、かすかに十字架が描かれています。これから始まるイエス様の宣教の生涯が、十字架へとつながるものであることを示しています。川の両岸は険しい岩場です。洗礼の直後の「荒れ野の誘惑」を思わせます。そして、ヨハネの対岸には、天使が二人、タオルらしき物を持って立っています。一方の鮮やかな青色は、聖母マリアがよく来ている上着を思い起こさせます。そのときには「純潔」を意味します。もう一方の赤色は、「苦難」を意味します。このように、イエス様の洗礼の場面は、宣教の生涯の最初でありながら、すでに十字架をはっきりと示していることが分かります。そして、最も大切なのは、イエス様の頭上に降っている輝く鳩です。これは、聖霊を表現しています。そして聖霊は、神さまの重要なメッセージを運んで来ているのです。「あなたは私の愛する子、わたしの心に適う者」と。
 イエス様の生涯は、神さまの「愛している」のメッセージで始まったのです。そして、同じ聖霊が今もこの地上を吹きすさんでいるのなら、私たちにも同じメッセージが語られているはずです。「あなたはわたしの愛する子」と。
 先日、私の母校である神学校の「説教セミナー」に参加しました。講師は日本基督教団牧師、関田寛雄先生でした。著書が何冊もあり、多くの教え子を抱える高名な先生であるにもかかわらず、物静かな、大変謙虚な先生でした。参加者は用意してきた説教を発表し、互いに評価し合います。そして最後に関田先生からの詳しいコメントをいただくのです。その中で先生は何度も次のように言われました。「まず説教者自身が、主のみ言葉に慰められ、癒されなさい。」説教者の根本は、誰かを指導したり、評価したりすることではない。み言葉を解説することですらない。それは、神さまに愛されている喜びを、みんなと分かち合うことだ、と先生は私たちに伝えようとされていたのではないかと、私は考えています。
 神さまが私たちをこの上なく愛してくださっている、これがすべての前提です。


【何でも聞ける会】

青年会主催【何でも聞ける会】が開催されます。
どんな小さな(もしくは大きな?)疑問でも消化しようよ!という会です。藤原司祭にお願いし、みんなで分かち合って行けたら・・・と思っています。是非皆さん!どうぞ野次馬根性でご参加下さい!お待ちしています!

■日時 7月31日(日) 午後1時頃〜
■場所 会館ホール(予定)

*お菓子を食べながらのザックバランな会です。
*青年会主催のどなたでもご参加いただける会です。


予告

芦生ほっこりキャンプ

夏の各キャンプを終え、頑張ってきたスタッフたちを中心に「プログラムの全くないキャンプをしてほっこりしよう!」という趣旨で、毎年キャンプをしています。途中参加、途中出入り、何でも自由です。参加費はそれぞれの参加により変わります。当教会の誇る芦生キャンプ場を一度体験してみては!日帰りでも参加可能です!ご予定ください。
▽会期=2005年10月8日(土)〜10日(月祝)
▽集合=スーパー・サンダイコー(周山)午前10時


寄稿
「聖書・イスラエル・ヘブライ語」
        言いたい放題

ミカエル 大居雅治神学生

 この4月から私は下田屋先生のヘブライ語教室に入門しました。先生は実に厳密に聖書ヘブライ語を勉強されているので、またその風格からも学生たちは「ラビ」の称号を勝手につけています。私はと言えば、かなりチャランポランにしかやって来なかったので、良い勉強をさせていただいています。僭越ながら、私は自分の体験から二つのことをお勧めします。まず、聖書を原文で読むこと。その楽しみというのは格別です。今や旧約も新約も日本語対訳のものが出ていますから、ヘブライ語でもギリシャ語でも辞書を引けるくらいの手ほどきを受ければ、誰でもその喜びにあずかることが出来ます。例えば、創世記一七章の初めに「あなたは私に従って歩み、全き者になりなさい」とありますが、傍線部は直訳すると「私の顔の前に歩き回れ」という意味にも取れます。「神様に従う」とはどういうことなのか、より深く考えさせられます。み言葉が心の中に豊かに響いてくること保証します。
それから、短期間でも是非一度イスラエルに行ってその空気に触れることです。不思議なことに、聖書を読んだ時これまでと違った感覚を持っている自分に気づくでしょう。事実、私の周りにそういう体験をした方はたくさんおられます。これも保証します。でもイスラエルは今は危険ではないかと懸念する向きもありますが、そろそろ落ち着きそうです。そもそも日本の交通戦争と比べれば巻き込まれる確率はイスラエルの方が絶対低いはずですし、日本にいる感覚で「危ない」と言っていたらいつまでたってもイスラエルには行けません。私は声を大にして申し上げたい。新車に買い換えるのを1回我慢すればイスラエルに行けますし、その体験は一生の宝になります。勝手なことばかり言い放ってしまいましたが、私も中東地域の平和を切に願っている者の一人です。


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