2005年11月号 No.267
司祭 ミカエル 藤原健久
「見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名付けなさい。」
これは「サッテヤ…言葉と絵による黙想」(日本基督教団出版局)の中の、「受胎告知」と名付けられた絵と、それに添えられた詩です。作者はナリニ・ジャヤスリヤという女性で、スリランカで活動しています。彼女は、クリスチャンが少数派である地域において、アジアという文化的背景を持ったクリスチャンとして、自らの信仰を絵で表現しようとしています。そのため彼女の絵は、「キリスト教絵画」としては大変ユニークなものです。この受胎告知の絵も、他では見られないような構図になっています。二人の人物が向かい合っています。ほぼ同じ姿勢をして、同じような表情をしていますが、かすかに違いが見られます。左側の人物の方が顔を正面に上げ、手を若干高くあげています。それに比べると右側の人物は少し顔を伏せ、手も少し下げています。髪型の違いからすれば、右側がマリアで、左側が天使のように思われます。そうすれば、天使のお告げをマリアが恭しく聞いている姿に成ります。もしかすると左右が逆かもしれません。そうなれば、天使が神のひとり子の御母に敬意を払っている姿になります。それらよりもこの絵を見てまず目を取られるのが、二人の人物が、それぞれ背中を丸め、身をかがめ、一体となっていることです。さわやかな水色の絵の具を削って作りだしたであろう白い線が、二人を円形に囲み、その線が幾重にも重なることによって、二人の人物が、何か大きな流れによって一つの固まりになったように見えます。ここでは、天使とマリアという二人の違いよりも、一つに融合させられた事の方が大きく表現されています。詩にあるように、マリアは地上の人々の代表であり、天使は天の世界の代表であって、受胎告知の出来事は、天と地との境が打ち破られ、一つとさせられてゆく出来事なのです。全ての人の間の、そして人類と神様との和解と一致が、イエス様の誕生の前、そのお告げの時から始まった、ということをこの絵は表現しているのでしょう。
ミチナ教区主教来訪!
去る10月29日(土)ミャンマー聖公会ミチナ教区の主教デイヴィッド・タン・ルイン師とご夫人が当教会を訪問されました。米国ユタ教区を訪れ、帰路、20年来の友人である大岡義明司祭を訪ねて京都に来られました。「新しい礼拝堂をお見せしたい」とのことで、大岡先生が聖マリアの新聖堂まで案内されて来られました。短い時間でしたがいろいろとお話を伺いました。ミャンマーには約七万人の聖公会の信徒がいて、ミチナ教区にも19の教会と7000人の信徒がいるとのこと。(日本聖公会の現在受聖餐者は約2万人、京都教区は2000人弱です。)一番多いのはバプテスト、次がカトリックで、聖公会は三番目だそうです。国全体としては「仏教国」と見なされていますが、北部ではキリスト教も多いとのこと。ミャンマーは軍事政権下で、外国との交流が大変難しいこと。是非日本の人々、特に若い聖職や信徒がミャンマーの教会を訪れて欲しい、と言って居られました。ミチナ教区は山岳地域で、自動車の入れない地域も多く、主教巡回も、幾日も掛けて、徒歩や、時には象に乗って行うのだそうです。穏やかな語り口の主教さんでしたが、深い苦悩と宣教への熱い思いを秘めてらっしゃるように感じました。
大木健さんを偲んで
ヨハネ 西岡正之
ねえキミ、大木健さん(1920年生まれ)を覚えているかなあ。日本の政府が「紀元は2600年」と大いに宣伝していた1940年頃、マリア教会日曜学校の先生だった方だ。大木さんは当時京都府立第三中学校(旧制)の上級生だったと記憶している。私は錦林小学校の生徒だった。大木さんはとても優しく、快活な明るい中学生で、我々にとって最高の兄貴分であった。1941年12月太平洋戦争に突入。43年に入ると戦況は次第に日本側に不利となる。この年、政府はこれ迄20才以上の学生に対して「徴兵猶予措置」を取っていたのを停止した。いわゆる「学徒出陣」である。11月、徴兵検査により9万9千名が合格し、直ちに陸・海軍に入隊せねばならないことになる。当時の学生達の戦争・軍隊に対する思いは大部分の人は割合に冷静で、一定の距離を置いて対応していたように思える。小学生は「愛国少年」的であり、中学生は、その中間と言える。大きな声で「反戦・平和」を叫ぶ自由は全く無かった。陸軍は海軍の「予備学生」制度に対抗して43年7月、「特別操縦見習士官」の制度を設け、大学・高等・専門学校卒業生を対象として、入隊後直ちに「曹長」となり、一年後「少尉」に任官するという「特典」付きで募集した。当然ながら学生達に大きな反響があり、「どうせ軍隊に行くのなら「特操」で入隊しよう」と、多数が志願した。第一期2660名が採用され、43年10月入隊、直ちに練習機による操縦訓練が開始された。今になって考えてみると、「特別操縦見習士官」の「特別」とは、「特別攻撃隊」の「特別」にストレートで通じることになるのだが…。大木さんが、同志社大学の学生からどの様な決意で「特操一期生」に進まれたのか、いろいろと憶測するのはやめておこう。44年10月、大木さんは他の同僚と共に少尉に任官。飛行第11戦隊に配属され、当時最新鋭戦闘機の四式戦(疾風)の操縦訓練に入る。11月上旬第11戦隊からも特攻隊員を出すよう陸軍の上層部より指示が出た。大木さんは特攻隊の一員となる。11月中旬12期編成の特攻機はルソン島マニラ近くのポーラック基地に進出した。この頃連日のようにB24爆撃機による空襲があり、12月25日、クリスマス当日も20機あまりの編隊がクラーク基地を空襲。大木少尉は四式戦を駆って迎撃飛行を行い、午前10時45分「空中特攻」として、敵編隊長機に体当たりを敢行し、壮烈な戦死を遂げられ、「特攻戦死」により大尉に昇進された。この戦闘経緯は「特操一期生会」発行の資料によるものだが、これと異なる戦死の日時・場所の記録もある。ビジネス社刊「陸軍航空特別攻撃隊史」では、1945年1月12日ルソン島リンガエン湾にて特攻戦死、となっている。このように二通りの異なる説があるのは、当時の現地の状況が混乱状態におかれていた為であろうか。第四航空軍司令官の富永恭二中将は、44年10月〜45年1月の間、ルソン島の基地を出撃する特攻隊を毎回激励し、日本刀を抜いて高く掲げ、見送ったという。彼は、「諸君の後からは第四航空軍の飛行機が全機続く、そして、最後の一機にはこの富永が乗って体当たりをする決心である。」と調子の良い訓示をしたそうである。しかし乍ら、フィリピンの日本軍の劣勢が顕著となった1月17日、彼は多くの部下将兵を現地に残したまま、少数の高級将校と共に台湾へ逃亡する。「敵前逃亡」ともいうべき所業である。大木さんの戦死後僅か20日余りの出来事である。特攻隊「丹心隊」に加わり、12月17日に戦死された特操一期出身の斉籐大尉のご遺族の方は、「斉籐行雄の生涯」という小冊子の中で、「陸軍上層部は完全に腐敗していた。斉藤大尉は犬死したのである。尚、富永中将は戦後、畳の上で大往生した。と怒り、かつ嘆いておられる。誠にもっともなことである。今は、靖国神社をめぐって、さまざまな論議が交わされているが、「もう神風は吹かない(河出書房刊・シュミット村木眞寿美著)」の中で、「靖国神社というのは、生きている人の為にあるもので、生きている者が亡くなった人の魂の行方をここに決めて、自分は死んだ人の霊を慰めに来ているのだと思いながら、それは自分の為にしているのだということに気がつかない場所である」と記されている。靖国神社はキリスト教徒も仏教徒も無宗教者も、すべてまとめて「英霊」にしてしまう所である。京都の東山安井に霊山護国神社があり、この境内に「特操の碑」が建立されており、毎年一回、特操一期〜四期生出身者と、その遺家族達が参集して慰霊祭を行う。今年は一二月四日に開催されたそうである。まもなく、51回目の大木健さんの「特攻戦死の日」を迎える。大木さんが静かに眠る事の出来る所は、靖国神社などではなく、ここ、京都聖マリア教会であると信じている。
晩秋の南禅寺に子ども達とお散歩に出掛けました。神様の御業は本当に計り知れませんね、美しい紅葉に心が静かに高鳴ってゆくのを覚えました。折々の祈りの日々、毎日の園生活の中で子ども達と共に「ありがとう」を幾度となく言葉にし、また心に携え歩んでいます。先日、収穫と勤労の感謝を込めて「感謝祭」のお礼拝(第一部)をお捧し、日々私達の幼稚園の事をいつも心に覚え、本当にあらゆるところで様々なお世話をして下さっている方、今年度は、教会信徒の久保田栄三さんをお招きいたしました。久保田さんは、子ども達もいつの間にやら「おじいちゃん!」と親しみを持って呼ばせて頂く程ですが、改めて子ども達がこの度「ありがとう」の気持ちをお伝えする機会を与えられました。また、子ども達の命を繋いで下さっている祖父母の皆様もお招きし、お礼拝に引き続き、第二部では歌・劇ごっこ・リズムバンドをご披露し子ども達の成長の様子をご覧頂きました。身近な人に感謝する心「生きている」事を含めて感謝出来る幸せを子ども達の姿を通して考え、言葉にしなくとも目には見えない、神様の御業を御恵を御祝福を心で感じられた事を糧にしてこれから迎える、大切なクリスマス・イエス様の御誕生に喜びと感謝を持って皆で「愛」の光を輝かせたいと思います。「愛」に満たされて育くまれる幼子は本当に幸せです。教会信徒の皆様もいつも幼稚園を子ども達を覚えお祈り下さっています。子ども達に「愛」を下さる大切な方々だと、常々感謝致しております。その中のお一人である田中泰之さんより「あい」の贈り物を頂きました。常日頃、田中さんには、お庭を綺麗にして頂く事のみならず子ども達に神様からの賜物をあらゆる形でお教え頂いています。そんな田中さんからの贈り物は、幼稚園のご門を入ってすぐ左手の団栗の木の下に・・・除幕式のご準備までして頂き、お庭で月曜礼拝をお捧げした後、子ども達と「あい」を目で心で見つめました。さて!「あい」の贈り物とは一体何でしょうか?どうぞ、幼稚園のご門に足をお運び下さいませ。そして、子ども達と共に「愛」の光を輝かせましょう!主に感謝。
=婦人会=
=公示=
|